其中日記
(四)
種田山頭火
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【テキスト中に現れる記号について】
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから2字下げ]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)なか/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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其中一人として炎天 山頭火
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七月十一日[#「七月十一日」に二重傍線]
天気明朗、心気も明朗である。
釣瓶縄をすげかへる、私自身が綯うた棕梠縄である、これで当分楽だ、それにしても水は尊い、井戸や清水に注連を張る人々の心を知れ。
百合を活ける、さんらんとしてかゞやいてゐる、野の百合のよそほひを見よ。
椹野川にそうて散歩した、月見草の花ざかりである、途上数句拾うた。
昼食のおかずは焼茄子、おいしかつた。
此頃は茄子、胡瓜、胡瓜、茄子と食べつゞけてゐる。
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・けさは逢へる日の障子あけはなつ(追加一句)
青田いちめんの長い汽車が通る
・炎天かくすところなく水のながれくる
・涼しい風が、腰かける石がある
・すずしうて蟹の子
・ふるさとちかく住みついて雲の峰
水をわたる高圧線の長い影
・日ざかりのお地蔵さまの顔がにこにこ
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野菜に水をやる、栄養の水でもあれば感謝の水でもある。
△其中庵はまことに雑草の楽園[#「雑草の楽園」に傍点]であり、虫の宿[#「虫の宿」に傍点]である、草は伸びたいだけ伸び、虫は気まゝに飛びあるく。……
蜩! ゆふべの窓からはじめて裏山の蜩を聞いた。
とても蚊が多いから、といふよりも、私一人に藪蚊があつまつてきて無警告で螫すから、まだ暮れないのに蚊帳を吊つて、その中で読書、我儘すぎるかな。
△或る日はしづかでうれしく、或る日はさみしくてかなしい、生きてゐてよかつたと思ふこともあれば、死んだつてかまはないと考へることもある、君よ、孤独の人生散歩者を笑ふなかれ。
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・昼寝の顔をのぞいては蜂が通りぬける
もつれあひつつ胡瓜に胡瓜がふとつてくる
・炎天のの[#「の」に「マヽ」の注記]虫つるんだまんま殺された
・もいでたべても茄子がトマトがなんぼでも
心中が見つかつたといふ山の蜩よ
今から畑へなか/\暮れない山のかな/\
追加一句
・飯のしろさも家いつぱいの日かげ
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七月十二日[#「七月十二日」に二重傍線]
月明に起きて蛙鳴を聴く、やがて蝉声も聴いた。
玉葱といつしよに指を切つた、くれなゐあざやかな血があふれた、肉体の疵には強い私だが、疵の痛みには弱い私だ。
生死一如、物心一枚の境地――それは眼前脚下にある、――それが解脱だ。
五時半出立、九時から十二時まで秋穂行乞、三時半帰庵。
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米 二升二合 酒 弐十銭
今日の所得 今日の買物
銭 二十六銭 ハガキ 三銭
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この二合の酒はとてもうまかつた、文字通りの甘露[#「甘露」に傍点]だつた。
秋穂はさすがに八十八ヶ所の霊場だけに、殊に今日は陰暦の二十日だけに、お断りは殆んどなかつた。
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・朝月まうへに草鞋はかろく
・よち/\あるけるとしよりに青田風
・朝月に放たれた野羊の鳴きかはし
・田草とる汗やらん/\として照る
・木かげ涼しくて石仏おはす(改作)
・炎天の虫をとらへては命をつなぐ
・一人わたり二人わたり私もわたる涼しい水
・重荷おろすやよしきりのなく
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小豆飯と菓子とのおせつたい[#「おせつたい」に傍点]をいたゞいた、まことに久しぶりのお接待!
信心遍路[#「信心遍路」に傍点]さんが三々五々ちらほらと巡拝してゐる、わるくない風景である、近代風景ではないけれど。
女学生が二三人づゝ、自転車に乗つて、さつさうとして走つてくる、これは近代風景だ、そしてこれもわるくない風景だ。
村の処女会の人々がにぎやかに神社の境内を洒掃してゐる、辻々には演習兵歓迎の日の丸がへんぽんとひるがへつてゐる、これもまたわるくない風景だ。
△土手の穂すゝきがうつくしかつた、旧家には凌宵花、野には撫子、青田風があを/\と吹く。
徃復七里、帰途の暑さはこたえた、しかし、のんべんだらりと坐つてゐるよりも歩いた方がたしかに身心をやしなふ。
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・吸はねばならない血を吸うて殺された蚊で
・とまればたたかれる蠅のとびまはり
・炎天の雲はない昼月
・草すゞし人のゆくみちをゆく
・炎天の機械と人と休んでゐる
・木かげたゝへた水もほのかに緋鯉のいろ
・茄子胡瓜胡瓜茄子ばかり食べる涼しさ
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七月十三日[#「七月十三日」に二重傍線]
朝月はよいな、蛙のうたもよいな、キヤベツはうまいな。
桔梗が咲いた、虫の声がしんみりしてくる。……
網代笠を修繕する、いつぞや緑平老は、ずゐぶん破れましたねといつた、樹明君は、新らしいのを買つてはどうですかといふが、物を活かせるだけ活かすのが禅門の教であり、同時に新らしい笠をかぶるよりも一杯やりたいのが私の煩悩でもあり、熱心に紙を張り渋を塗つて役立てるのである、このところ一句あるべくして一句もなかつた。
△空罎[#「罎」に「マヽ」の注記]を焼酎に代へてのんべい[#「のんべい」に傍点]虫をなだめた、さりとてははかない酒徒なるかな、だ。
蝉(わし/\)大蝉(じん/\)が暑苦しく啼きだした。
[#ここから2字下げ]
追加
・月あかり蜘蛛の大きい影があるく
・月夜の道ばたの花は盗まれた
・昼ふかく草ふかく蛇に呑まれる蛙の声で
・待ちぼけの、寝るとする草に雨ふる
・待つでもない待たぬでもない雑草の月あかり
[#ここで字下げ終わり]
焼酎の御利益でぐつすり昼寝、覚めてから水をしたうて椹野川へ行く、何と河童少年少女の泳ぎまはつてゐること、そしてみんなそれ/″\に海水着を着て浮袋を持つてゐる。
一飄[#「飄」に「マヽ」の注記]を携へて網漁をやつてゐる老人がゐた、その余裕ぶりを少し羨ましく思つた。
私は二合入の空瓶を拾うて戻つた、行乞途上、般若湯を詰めて持つてあるく用意として。
ひとり蚊帳の中に寝ころんで、好きな本を読む――極楽浄土はまさにこゝにある!
緩歩不休[#「緩歩不休」に傍点]は山登りばかりの秘訣ではない、人生の事すべて然り。
[#ここから2字下げ]
掟(改訂)
一、辛いもの好きは辛いものを、甘いもの好きは甘いものを任意持参せられたし。
一、うたふもおどるも勝手なれども、たゞ春風秋水のすなほさでありたし。
一、威張るべからず、欝ぐべからず、其中一人の心を持すべし。
其中庵主
右三章 山頭火しるす
[#ここで字下げ終わり]
夜、樹明君がバリカンを持つて来て、白髪頭を理髪してくれた、ありがたい、言語同断ありがたかつた。
机の上に蝉の子がぢつとしてゐる、殼を脱いだばかりのみん/\蝉である、今夜はこゝで休んで明日からは鳴いて恋してそして死ね、お前の一生は短かいけれど私たちよりは充実してゐるぞ。
七月十四日[#「七月十四日」に二重傍線]
七月十五日[#「七月十五日」に二重傍線] 『行乞記』
七月十六日[#「七月十六日」に二重傍線]
底本:「山頭火全集 第五巻」春陽堂書店
1986(昭和61)年11月30日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:小林繁雄
校正:仙酔ゑびす
2009年1月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
終わり
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