なかの畳へ大きな百足
[#ここで字下げ終わり]
それは大きな百足だつた、五寸以上あつた、私はぞつとして打ち殺さうとして果さなかつた。
長虫――蛇、百足、いもり、とかげ、蚯蚓――はまつたく嫌だ。
今日の食事には嘘があつた、――といふのは、日記をつけてしまつてから、飯が食べたくて、そして煙草が吸ひたくてやりきれなかつたから、私一流の、窮余の策を弄して、酒と米と煙草とを捻出したのである、――それはかうである、――A店で一杯ひつかけて(此代金十一銭)その勢でB店で煙草一包(此代金四銭、抵当として端書三枚預けて置いた!)を手に入れ、さらにC店で白米二升(此代金四十六銭)を借りて来たのである。
何と酒がうまくて、煙草がうまくて、そして飯のうまかつたことよ、私は涙がこぼれさうだつた(この涙はどういふ涙ぞ)。
五月一日[#「五月一日」に二重傍線]
くもり、だん/\晴れて、さつきの微風が吹く、雨後の風景のみづ/\しさを見よ。
山蕗を採つて煮た、半日の仕事だつた。
何日ぶりの入浴か、身心さつさうとしてかへる。
樹明来(筍と卵とのお土産持参)、うち連れて、夕の街をあるく、夜の街を飲みまはる、――いつもとはちがつて、よい散歩、よい飲振、よい別れ方だつた。
飲食過多、それはやつぱり貪る心[#「貪る心」に傍点]だ、戒々々。
[#ここから2字下げ]
・酔ひざめの、どこかに月がある
・月の落ちる方へあるく
・落ちてまだ月あかりの寝床へかへる
[#ここで字下げ終わり]
五月二日[#「五月二日」に二重傍線]
曇、明るい雨となつた。
早朝、樹明来、ほがらか/\、素湯とわさび漬で、節食、どうやら過飲過食の重苦しさがなくなつた。
何だか泣きたいやうな気分になる、老いぼれセンチめ!
[#ここから2字下げ]
・柿若葉、あれはきつつきのめをと
・草をとりつつ何か考へつつ
・くもり、けふはわたしの草とりデー
・まこと雨ふる筍の伸びやう
・いつまでも話しつゞける地べたの春
・見るとなく見てをれば明るい雨
[#ここで字下げ終わり]
△すべての物品を酒[#「酒」に白三角傍点]に換算する私だつたのに、いつからとなく米[#「米」に白三角傍点]で換算するやうになつた、例へば、五十銭の品物は酒[#「酒」に白三角傍点]五合[#「合」に白三角傍点]だと考へてゐたのが、米[#「米」に白三角傍点]二升[#「升」に白三角傍点]だと考へるやうになつた、そして、酒さへあれば[#「酒さへあれば」に傍点]、といふ私が、米さへあれば[#「米さへあれば」に傍点]、の私となつてゐる。……
[#ここから2字下げ]
・さいてはちつてはきんぽうげのちかみち
・たれかきたよな雨だれのあかるくて
・もう暮れる火のよう燃える
・竹の子のたくましさの竹になりつつ
・によきによきならんで筍筍
・親子で掘る筍がある風景です
樹明君に
・なんとよいお日和の筍をもらつた
[#ここで字下げ終わり]
五月三日[#「五月三日」に二重傍線]
曇、風が出て寒かつた。
草取、入浴、散歩。……
樹明君が帰宅の途中を寄つてくれる、忠兵衛もどきで酒を捻出して飲む、精進料理のよい酒だつた。
句もなく苦もなし、楽もなく何物もなし、めでたし/\。
五月四日[#「五月四日」に二重傍線]
晴、なか/\つめたい。
待つてゐるものは来ない。
山の色がうつくしうなつた、苗代づくりがはじまつた。
敬君へ手紙を書いた、悪口を書いたけれど、私の友情はくんでもらへるだらう、敬君、しつかりしてくれたまへ、たのむ。
まじめな身心で畑仕事、蚯蚓の多いのには閉口した。
夜は樹明君を宿直室に訪ねる、よく話しよく飲みよく食べた、ずゐぶん酔ふたが、習慣と心構へとがはたらいて、おとなしく戻つて寝た(残つた酒を持つて!)。
[#ここから2字下げ]
・山は若葉の、そのなかの広告文字
山肌いろづき松蝉うたふ
・なんにもなくなつて水の音
・石にとんぼはかげをすえ
[#ここで字下げ終わり]
五月五日[#「五月五日」に二重傍線]
曇、端午、男の祝日、幸にして酒がある、朝から飲む、今日一日は好日であれ。
終日閑居、昼寝したり、読書したり、蕗を摘んだり、草をとつたり、空想したり、追憶したりして。
若葉の月はよかつた。
今日は一句も出来なかつた。
五月六日[#「五月六日」に二重傍線] 立夏。
早起すぎた、明けるのが待遠かつた。
晴、ネルセルシーズンだ。
入雲洞君の手紙はありがたかつた、黎々火君のはがきはうれしかつた、しげ子さんのたよりはかなしかつた。
暮春と貧乏との関係如何!
酒を借り、魚を借りて来て、樹明君を招待した、よい酒宴であり、よい月見であつた。
[#ここから2字下げ]
食べたものがそのまゝで出る春ふかし([#ここから割り注]何ときたない、そして何とまじめ
前へ
次へ
全12ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング