い米をいたゞいた、お米観音とでもいはうか。
柿もぎにきたS家の子供がやたらに花をむしる、それをSがむやみにむしるなと叱る、しかしS自身が花をむしつてゐるのだ、彼はそれを花瓶に活けるではないか!
胃袋が強すぎて頭脳が弱すぎる、それが私だ、また、胃袋は正直で頭脳は横着だ、それは誰もだ。

 十一月廿五日

けふもしぐれる、身心やゝよろしくなる。
こほろぎの子、あぶらむしの子、子は何でもかあいらしい。
雨に汚れ物――茶碗とか鍋とか何とか――を洗はせる、といふよりも洗つてもらふ。
俳句講座を漫読して、乙二[#「乙二」に白三角傍点]を発見した、何と彼と私とはよく似てゐることよ、私はうれしかつた、松窓七部集が読みたい、彼について書きたい。
けふはほんとうにしみ/″\としぐれを聴いた。
[#ここから2字下げ]
・さんざふる夜の蠅でつるみます
・たゞ一本の寒菊はみほとけに
・山茶花さいてお留守の水をもらうてもどる
・誰かきさうな空からこぼれる枇杷の花
・しぐれたりてりだしたりこゝそこ茶の花ちつて
・冬蠅とゐて水もとぼしいくらし
   改作二句
 この柿の木が庵らしくするあるじとして
 こゝにかうしてみほとけのかげわたしのかげ(晩課諷経)
[#ここで字下げ終わり]

 十一月廿六日

徹夜、ほんとうの自分をとりもどす。
澄むなら澄みきれ、濁るなら濁りきれ、しかし、或は澄み或は濁り、いや、澄んだらしく、濁つたらしく、矛盾と中途半端とを繰り返すのが、私の性情らしい。
いくら考へても仕方がないから歩いた、私はやつぱり歩かなければならないのだ、歩きつゝ考へ、考へつゝ歩くのだ、そして歩くことがそのまゝ考へることになるかも知れない[#「歩くことがそのまゝ考へることになるかも知れない」に傍点](此場合の『歩くこと』は必ずしも行乞流転を意味しない)。
櫨を活ける、燃えあがる情熱だ、同時に情熱の沈潜だ、赤の沈黙だ、自然の説法だ。
久しぶりに掃いた、柿の葉はすつかり散つてしまつて、枇杷の花がほろ/\こぼれる、森の栗の葉がちらほらとんでくる。
落ちついて身辺整理、机の上が塵だらけだつた。
人生は『何を』でなく『如何に』ではないかとも思ふ、内容は無論大切だが、それはそれを取扱ふ態度によつてきまるのではあるまいか。
樹明君が来て、私の姿は山男のやうだとひやかす、ひやかしぢやない、じつさいなのだらう、山から来た
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