て敬治坊は耽溺沈没したのだつた、関の鴉に笑はれたらしい、私へは、叱られるから手紙を出さないと書いてある、私には彼を叱る資格はないが、彼を叱るだけの熱意を私が持つてゐることを知つてくれてゐるのはうれしい、お互にもう過去をすつかり清算してもよい、いや、さうしなければならない時期になつてゐる。
敬治坊、これからは、うまくない酒、悔をのこすやうな酒は、お互に断然あほらないことを誓約しようぢやないか、そしてそれを断然実行しようぢやないか、敬治坊!
物の声といふものはおもしろいものである、けさも、鶏の鳴声や汽車の音響によつて、もう夜明けにちかいことを知つた、大気の関係で、同一の音がいろ/\に響くものである、そしてけさはまた風の工合で、駅売の触声がよく聞えた、べんとう、べんとう、――だが、ビール、正宗は聞きとれなくて仕合だつた。
私の無一文を気の毒がつて、樹明君が彼も此頃乏しい銭入から風呂銭として、二十銭おいていつた、私はその十銭白銅貨二つを握つて、考へた。――
これは樹明君へ与へる山頭火報告書である。――
[#ここから1字下げ]
一 金三銭 入浴料一回分 一、四銭 撫子小包
一 金五銭 焼酎五勺 一、五銭 醤油二合
(此誤記は不用意の皮肉だ) 一、三銭 端書弐枚
〆金弐拾銭也 差引残金なし
[#ここで字下げ終わり]
この報告書の具体的記述はかうである。――
正午のサイレンをきいてからぶらりと出た、まづ風呂にはいつた、まだ風呂が沸いてゐないので、待つ間におかみさんから針と糸とを借りて、ほころびを縫ふたも一興、それから例のをギユツ、まことにこれは一週間振の一浴であり、一週間振の一杯(正確にいへば半杯)だつたのである、そして今日は椹野川にそうて溯つた、この道にもいろ/\のおもひでがある、身にあまる大金をふところにして山口の税務署へいそいだこともあれば、費ひ果して二分も残らず、ぼう/\ばく/\としてさまよふたこともある、そんな事を考へたり、あちこちの山や野や水を眺めて、とう/\大歳駅まで来てしまつた、そして新国道をひきかへしたが、かへりついたのは薄暗い頃であつた。……
朝も三平汁、昼もおなじ三平汁(三平汁は樹明直伝のもの、朝も三平、昼も三平、そして晩も三平だつたら、合して九平、クヘイ、クヘイ)、晩はにんぢん葉の煮付、何を食べてもうまい、此点に於て、私はほんとうに幸
前へ
次へ
全46ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング