途上に於ける私の真実をうたつた作であるが、現在の私としては前句を捨てて後句を残すことにする。
私はやうやく『存在の世界』にかへつて来て帰家穏坐とでもいひたいここちがする。私は長い間さまようてゐた。からだがさまようてゐたばかりでなく、こころもさまようてゐた。在るべきものに苦しみ、在らずにはゐないものに悩まされてゐた。そしてやうやくにして、在るものにおちつくことができた。そこに私自身を見出したのである。
在るべきものも在らずにはゐないものもすべてが在るものの中に蔵されてゐる。在るものを知るときすべてを知るのである。私は在るべきものを捨てようとするのではない、在らずにはゐないものから逃れようとするのではない。
『存在の世界』を再認識して再出発したい私の心がまへである。
うたふものの第一義はうたふことそのことでなければならない。私は詩として私自身を表現しなければならない。それこそ私のつとめであり同時に私のねがひである。
[#地から1字上げ](昭和九年の秋、其中庵にて 山頭火)
雑草風景
柿が赤くて住めば住まれる家の木として
みごもつてよろめいてこほろぎかよ
日かげいつか月かげとなり木のかげ
残された二つ三つが熟柿となる雲のゆきき
みんなではたらく刈田ひろびろ
誰も来ないとうがらし赤うなる
病めば梅ぼしのあかさ
なんぼう考へてもおんなじことの落葉ふみあるく
落葉ふかく水汲めば水の澄みやう
病中 二句
寝たり起きたり落葉する
ほつかり覚めてまうへの月を感じてゐる
月のあかるい水汲んでおく
白船老に
あなたを待つてゐる火のよう燃える
ちよいと茶店があつて空瓶に活けた菊
多賀治第二世の出生を祝して
お日様のぞくとすやすや寝顔
悔いるこころに日が照り小鳥来て啼くか
落葉ふんで豆腐やさんが来たので豆腐を
枯れゆく草のうつくしさにすわる
冬がまた来てまた歯がぬけることも
噛みしめる味も抜けさうな歯で
竹のよろしさは朝風のしづくしつつ
霽れて元日の水がたたへていつぱい
舫ひてここに正月の舳をならべ
枯木に鴉が、お正月もすみました
どこからともなく散つてくる木の葉の感傷
しぐれつつうつくしい草が身のまはり
ひつそり暮らせばみそさざい
ぶらりとさがつて雪ふる蓑虫
雪もよひ雪にならな
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