草と虫とそして
種田山頭火
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)螫《さ》す
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)蜚※[#「虫+慮」、118−4]《あぶらむし》
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いつからともなく、どこからともなく、秋が来た。ことしは秋も早足で来たらしい。
昼はつくつくぼうし、夜はがちゃがちゃがうるさいほど鳴き立てていたが、それらもいつか遠ざかって、このごろはこおろぎの世界である。こおろぎの歌に松虫が調子をあわせる。百舌鳥の声、五位鷺の声、或る日は万歳万歳のさけびが聞える。夜になると、どこかのラジオがきれぎれに響く。
柿の葉が秋の葉らしく色づいて落ちる。実も落ちる。その音があたりのしずかさをさらにしずかにする。
蚊が、蠅がとても鋭くなった。声も立てないで触れるとすぐ螫《さ》す藪蚊、蠅は殆んどいないけれども、街へ出かけるときっと二三匹ついてくる。たまたま誰か来てくれると、意識しないお土産として連れてくる。彼等は蠅たたきを知っている。打とうとする手を感じていちはやく逃げる。いのち短かい虫、死を前にして一生懸命なのだ。無理もないと思う。
季節のうつりかわりに敏感なのは、植物では草、動物では虫、人間では独り者、旅人、貧乏人である(この点も、私は草や虫みたいな存在だ!)。
蝗は群をなして飛びかい、田圃路は通れないほどの賑やかさである。これにひきかえて赤蛙はあくまで孤独だ。草から草へおどろくほど高く跳ぶ。
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一匹とんで赤蛙
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蟻が行儀正しく最後の御奉公にいそしんでいる姿は、ときどき机の上を歩きまわったり寝床を襲うたりして困るけれど、それは私に反省と勤労を教えてくれる。
憎むべきは油虫だ。庵裏空しうして食べる物がないからでもあろうが、何でもかでも舐めたがる。いつぞやも友達から借りた本の表紙を舐めつくして、私にお詫言葉の蘊蓄を傾けさせた。
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蜚※[#「虫+慮」、118−4]《あぶらむし》ほど又なく野鄙なるものはあらじ。譬へば露計りも愛矜《あいけう》なく、しかも身もちむさむさしたる出女の、油垢に汚れ朽ばみしゆふべの寝まきながら、発出《おきい》でたる心地ぞする。(風狂文章)
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古人がすでに言いきっている。油虫よ、私ばかりではないぞ、怒るな憎むな。
げんのしょうこという草は腹薬として重宝がられるが、何というつつましい草であろう。梅の花を小さくしたような赤い花は愛らしさそのものである。或る俳友が訪ねて来て、その草を見つけて、子供のために摘み採ったが、その姿はほほえましいものであった。
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げんのしようこのおのれひそかな花と咲く
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萩がぼつぼつ咲き初めた。曼珠沙華も咲きだした。萩の花は塵と呼ばれているように、曼珠沙華のように、花としてはさまで美しくはないけれど、何となく捨てがたいところがある。私は萩を見るたびにいつも故人一翁君を思い出す。彼の名句――たまさかに人来て去ねば萩の花散る――は歳月を超えて私たちの胸を打つ。
今日はあまりの好晴にそそのかされて近在を散歩した。そして苅萱を頂戴した。
素朴な壺に抛げこまれた苅萱のみだれ、そこには日本的単純の深さが漂うている。何の奇もないところに量ることのできないものがある。
露草の好ましさも忘れてはならない。まいあさ、碧瑠璃の空へ碧瑠璃の花、畑仕事の邪魔にならないかぎりはそっとしておきたい。
だんだん月が澄みわたってくる。芋が肥え枝豆がおいしくなるにつれて、月も清く明らかになる。とかく寝覚がちの私は夜中に起きて月を眺める。有明月の肌寒い光が身にも心にも沁み入って、おもいでは果もなくひろがる、果もない空のように。
欲しいな、一杯やりたいな。――そんなとき、酒を求めないではいられない私は、亡き放哉坊の寂しい句をくちずさむ。――こんなよい月をひとりで観て寝る。
私にもひょいと戯作一句うかんだ。芭蕉翁にはすまないが。――
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一つ家に一人寝て観る草に月
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[#地付き](「愚を守る」初版本)
底本:「山頭火随筆集」講談社文芸文庫、講談社
2002(平成14)年7月10日第1刷発行
2007(平成19)年2月5日第9刷発行
初出:「愚を守る 初版本」
1941(昭和16)年8月
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2008年5月19日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp
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