十二日 十三日

十二日の未明、臨検があっただけ。
………………………

 十二月十四日 晴。

藤岡さんを局に訪ねて郵便物をうけとる、いずれもうれしいたよりであるが、とりわけ健からのはうれしかった、さっそく飲む、食べる、――久しぶりに酔っぱらった。
夕方帰宿すると、留守に高橋さんが来訪されたそうである、新居の吉報を齎らして、――すみませんでした。
ぐっすり寝る、夢も悔もなし、こんとんとしてぼうぼうばくばくなり

 十二月十五日 晴。

昨日の飲みすぎ食べすぎがたたっている、朝酒数杯でごまかす。
午前、高橋さん来訪、厚情に甘えて、新居へ移った、御幸山麓、御幸寺の隠宅のような家屋、私には過ぎている、勿体ないような気がする。
高橋さんがいろいろさまざまの物を持って来て下さる、すなおに受ける、ほんとうに感謝の言葉もない、蒲団、机、火鉢、鍋、七輪、バケツ、茶椀、箸、そして米、醤油、塩。
昼食は街のおでんやで、夕食は高橋さんの宅で。――
夜は高橋さんに連れられて安井さんを訪ねた、あるだけの酒をよばれる、揮毫したり、俳談したり、絵を観せてもらったりしているうちに、いつしか十時近くなったのでいそいで帰る、練兵場を横ぎりそこなって、うろうろしたけれど、さわりなく帰れた、そしてすぐ寝た。
  ………………………………………
(ここで私は宿の妻君に改めて感謝しなければならない、まことによい宿であった、よい妻君であった、私はとうとう二十日近くも滞在してしまった(事[#「事」に「ママ」の注記]情がそうさせたのであるが、宿がよくなかったならば、私はどこかへとびだしたであろう)。
四国巡拝中の遍路宿で、もっとも居心地のよい宿と思う(もっとも木賃料は四十銭で、他地方よりも十銭高いけれど、道後の宿一般がそうなのである、それでも一日三食たべて六十五銭乃至七十銭)。
夜の敷布上掛はいつも白々と洗濯してある、居間も便所も掃除が行き届いている、食事もよい、魚類、野菜、味噌汁、漬物、どれも料理が上手でたっぷりある、亭主は好人物にすぎないらしいが、妻君は口も八丁、手も八丁、なかなかの遣手だった。

 十二月十五日 晴(重複するけれど改めて記述する)

とうとうその日[#「その日」に傍点]――今日が来た、私はまさに転一歩[#「転一歩」に傍点]するのである、そして新一歩しなければならないのである。
一洵君に連れられて新居へ移って来た、御幸山麓御幸寺境内の隠宅である、高台で閑静で、家屋も土地も清らかである、山の景観も市街や山野の遠望も佳い。
京間の六畳一室四畳半一室、厨房も便所もほどよくしてある、水は前の方十間ばかりのところに汲揚ポンプがある、水質は悪くない、焚物は裏山から勝手に採るがよろしい、東々北向だから、まともに太陽が昇る(この頃は右に偏っているが)、月見には申分なかろう。
東隣は新築の護国神社、西隣は古刹龍泰寺、松山銀座へ七丁位、道後温泉へは数町。
知人としては真摯と温和とで心からいたわって下さる一洵君、物事を苦にしないで何かと庇護して下さる藤君、等々、そして君らの夫人。
すべての点に於て、私の分には過ぎたる栖家である、私は感泣して、すなおにつつましく私の寝床をここにこしらえた[#「すなおにつつましく私の寝床をここにこしらえた」に傍点]。
夕飯は一洵君の宅で頂戴し、それから同道して隣接の月村画伯を訪ね、おそくまで話し興じた。
新居第一夜のねむりはやすらかだった。
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新“風来居”の記
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“無事心頭情自寂
 無心事上境都如”(自警偈)
[#ここで字下げ終わり]

 十二月十六日 (晴)

高橋さんの内[#「内」に「ママ」の注記]へ行たり高橋さんが来たりで。……



底本:「人生遍路」日本図書センター
   2002(平成14)年11月25日第1刷発行
底本の親本:「定本 山頭火全集」春陽堂書店
   1972(昭和47)年4月〜1973(昭和48)年8月
入力:さくらんぼ
校正:小林繁雄
2005年6月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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