田へ行つて一風呂浴びてこうといふ、お互に脱線しないことを約束して、バスで一路湯田まで、千人風呂で汗を流す、それから君の北海道時代に於ける旧友Yさんを訪ふ、三千数百羽の鶏が飼はれてをり、立体孵卵器には一万五千の種卵が入れてあるほど、此地方としては大規模であり、大成功である、樹明君が心易立に無遠慮に一杯飲ましなさいといふ訳で、奥さんが酒と料理とを持つて来て、すみませんけれど、主人は客来で手がひけないので、どうぞ勝手に召しあがつて下さいといはれる、酒はあまりうまくなかつたが、料理はすてきにうまかつた、私などはめつたに味へない鶏肉づくしだつた、さすがに養鶏場だ、聞くも鶏、見るも鶏、食べるもまた鶏だつた。
何故だか何となく腹工合が悪くて、いくら飲まうと思つても、また、樹明君の気分に合しようと努めても、飲めない、酔へない、やうやく君をすかして、だまつて帰途につく、バスを一時間も待つた、その間、樹明君はそこらの床几に寝ころび、私は切符売の老人と湯田の今昔を話したり、M旅館の楼上で遊興する男女を垣間見たりする。
いつしよに帰庵してから、樹明君は家へ、私は床に就いたのは十二時頃、銭といふものゝありがたさ、自動車といふものゝありがたさ、友人といふものゝありがたさを痛感する。
私にはゼイタクきはまる一夜の遊楽でありました。
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   Y養鶏場三句
・鶏《とり》はみなねむり秋の夜の時計ちくたく
・うたふ鶏も羽ばたく鶏もうちのこうろぎ
 秋の夜の孵卵器の熱を調節する
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飲めなくなつたさびしさ
酔へなくなつたみじめさ
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   追加
・月が落ちる山から風が鳴りだした
・蛇が、涼しすぎるその色のうごく
 出来秋のなかで独りごというてゐる男
 秋らしい村へ虚無僧が女の子を連れて
・秋日和のふたりづれは仲のよいおぢいさんおばあさん
・晴れて雲なく釣瓶縄やつととゞく
・声はなつめをもいでゐる日曜の晴れ
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 九月十日[#「九月十日」に二重傍線]

秋ぢや、秋ぢや、といふほかなし、身心何となく軽快。
朝飯のとき、庵の料理はまづいなあとめづらしく思つた、何しろ昨夜の今朝[#「昨夜の今朝」に傍点]だから。
△昨日忘れてきたと思つた万年筆は浴衣の袖の底にあつた、忘れてきたと忘れてゐたところにまた私の老が見える、この万年筆は十
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