身のつらさを味ふ。
赤いシンパとして獄中にある河上肇博士の告白にうたれた。
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辿りつき振り返り見れば山川を
越えては越えて来つるものかな(博士作)
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炎天下の青田をいたはりそだてゝゐる農夫を眺めて、お百姓の心[#「お百姓の心」に傍点]の尊さを痛感する。
夕方の汽車で来てくれた緑平老を駅に迎へた、うれしかつた、酒を二本頂戴する。
樹明来、鶏肉を持参。
夜、冬村来、蝮蛇に咬まれたといふので、みんな騷いださうであるが、私はうまいうれしい酒にすつかり酔ひつぶれてちつとも知らなかつた。
ふと眼がさめる、あたりを見まはすと、明けはなつた部屋の蚊帳の中に、緑平老とならんで寝てゐる! ありがたかつた。
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・炎天のましたをアスフアルトしく
・胡瓜の手と手と握りあつた炎天
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七月九日[#「七月九日」に二重傍線]
晴、晴れるにきまつてゐる、晴れなければならないのだ!
早朝、白船老が来てくれた。
やがて樹明君、つゞいて黎々火君来庵。
清談、閑談、俳談、其中庵空前の――敢て絶後とはいひきらない――賑やかさ喜ばしさであつた。
折角、来庵してくれたのに、何のお愛想もできない、たゞ雑草風景[#「雑草風景」に傍点]を鑑賞してもらつた、雑草の自由美[#「雑草の自由美」に傍点]は庵の特色でもあり自慢でもある。
緑白二老は一時の汽車で、黎々火君は四時の汽車で、そして樹明君は学校へ、――みんながそれ/″\の家庭へ帰つていつた、私はとてもやりきれないので、萩地方行乞の旅へと山口まで出かけたが、宿の都合がわるくて(湯田で三軒、山口で三軒断られた)、ムシヤクシヤしたので、温泉に浸つて、水を飲んで、※[#「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2−92−68]パンをかぢりながら帰庵した、まことに遠い散歩[#「遠い散歩」に傍点]ではあつたが、月の一すぢみちはまことによかつた。
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・朝ははだしで、何やら咲いてゐる
・梅雨空うなる機械へ人間があつまつてくる
朝空の夾竹桃は赤いかな
・土運ぶ手が本をひろげて昼やすみ
・ここにも夏花の赤さはある
・螢もいつぴき
水音の三人の朝である
□
・わかれたままの草鞋をはく
・わかれてきた道がまつすぐ
・さびしさはここまできてもきりぎりす
・みんないんでしまつた炎天
あるけばこゝろなぐさむやいぬころ草
・石に腰かけあほぐや青葉
・山の青さ湯のわく町で泊らうとする
・月かげながうひいて戻つてきた
・月の障子のあかるさで寝る
このままでかへるほかない草螢
草の花ほんに月がよか 緑平
ほんによか昭和八年七月九日 山頭火
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七月十日[#「七月十日」に二重傍線]
快晴、朝の冷やかさは新秋のやうだつた、日中はまさに真夏。
今日は朝、昼、晩の三度とももぎたて[#「もぎたて」に傍点]の茄子を食べた、うまい/\。
昼寝は長すぎたが、連日のつかれをすつかり解消した。
午後、街へ出かけた、焼杉下駄を買ふ、二十一銭、これで二ヶ月は大丈夫だ、冬村君の仕事場へ寄る、弟さんだけしかゐない、蝮蛇疵は大したことがないとのこと、それは結構、安心する、さらに樹明君を学校に訪ねる、元気いつぱい、うれしいことだ。
幸福な夕――昨日のおかげで、酒はあるし、下物もあるし、身心は安らかだし。――
ふと眼がさめたら、月が寝床をのぞいてゐた、よくねむつ一[#「つ一」に「マヽ」の注記]夜。
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ばつたり風がなくなつて蝉の声
すこし風が出てきて青蛙なく
・あんなところに網を張り蜘蛛のやすけさは
・あすは雨らしい空をいたゞく
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底本:「山頭火全集 第五巻」春陽堂書店
1986(昭和61)年11月30日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:小林繁雄
校正:仙酔ゑびす
2009年1月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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