してどうしたことか!
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・九月十四日の水を泳ぐ
・秋の雑草は壺いつぱいに
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昨夜はほんとうにあぶないところだつた、また小郡を去らなければならないやうになつたかも知れない、おかげで――樹明さんのおかげ、仏様のおかげ、何かのおかげで助かつた。
彼此一時、あれもよし、これもわるくない。
今日の雑草は野撫子だつた、その花の色のよろしさ、「日本」そのものを見るやうだ。
一昨夜から蚊帳をやめたが、のう/\した気持である、蚊帳は封建的なところがある(便所のやうに)、それは人をして差別的ならしめて圧迫を加へる、と感じるのは私だけだらうか。
月がよくなつた、蚊もゐなくなり、灯による虫も少くなかつた、暑くなし寒くなし、まことに生甲斐のあるシーズンとなつた、かうしてぶら/\してゐるのが勿躰ないと思ふ。
新町はお祭、四十八瀬川のほとりに組み立てられたバラツクへ御神輿が渡御された、私も参拝する、月夜、瀬音、子供の群、みんなうれしいものだつた。
此頃はよく夢を見るが(私は夢中うなるさうな、これは樹明兄の奥さんの話である)、昨夜の夢なんかは実に珍妙であつた、それは或る剣客と果し合ひしたのである、そして自分にはまだまだ死生の覚悟[#「死生の覚悟」に傍点]がほんとうに出来てゐないことを知つた。
夢は自己内部の暴露である。
今日は誰にも逢はなかつた、自己を守つて自己を省みた、――私は人を軽んじてゐなかつたか、人を怨んでゐなかつたか、友情を盗んでゐなかつたか、自分に甘えてゐなかつたか、私の生活はあまりに安易ではないか、そこには向上の念も精進の志もないではないか。――
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月夜の水を汲ましてもらふ
・月かげひとりの米とぐ
月の落ちる山の灯ちんがり
・どかりと山の月おちた
月おちた大空のしらみくる
月おちて風ふく
・月が落ちる山の鐘鳴りだした
□
月へあけはなつ
・朝月がある雑草を摘む
・朝月に誰やら拍手鳴らしてゐる
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九月十五日
晴、時々曇る、満月、いはゆる芋名月、満洲国承認の日、朝五時月蝕、八幡祭礼、肌寒を感じる。
昼、ばら/\としぐれた、はじめてしぐれの風情を味ふ。
今日の雑草は夏水仙といふ花、その白いのがうれしい(これは雑草でなくて、どこかのこぼれ種らしい、川土手で摘んだが)。
酒壺洞君から、もつと強くなれと叱られた、たしかに私は弱気だ、綺語を弄すれば、善良な悪人[#「善良な悪人」に傍点]だ。
八幡宮の御神幸をこゝから遙拝する、追憶は三四十年前の少年時代にかへる、小遣銭を握りしめて天神様へ駈けてゆく自分がよみがへつてくる。……
蓮芋一茎[#「蓮芋一茎」に傍点]をもらつて、そのまゝ食べた。
憂欝な日は飯の出来まで半熟で、ます/\憂欝になる、半熟の飯をかみしめてゐると涙がぽろ/\こぼれさうだ。
朝魔羅[#「朝魔羅」に傍点]が立つてゐた、――まさにこれ近来の特種!
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月蝕四句
旅の或る日の朝月が虧げる
・虧げつゝ月は落ちてゆく
虧げはじめた月に向つてゐる
・朝月となり虧げる月となり
□
・おまつりのきものきてゆふべのこらは
・こどもほしや月へうたうてゐる女
待てば鐘なる月夜となつて
□
・お祭の提灯だけはともし
月夜のあんたの影が見えなくなるまで(樹明兄に)
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夜、樹明兄来庵、章魚を持つて、――私がお祭客として行かないものだから待ちくたびれて――今夜こそ酒なかるべからずである、あまり飲みたくはないけれど、そしてあまり酒はよくないけれど少し買うてくる(といつてもゲルトは私のぢやない)、しんみり飲んで話しつゞけた、十二時近くまで。
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・月夜おまつりのタコもつてきてくれた
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その鮹はうまかつた、まつたくうまかつた。
ねむれない、三時まへに起きて米を炊いだり座敷を掃いたりする、もちろん、澄みわたる月を観ることは忘れない。
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・月のひかりの水を捨てる(自分をうたふ)
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月並、常套、陳腐、平凡、こんな句はいくら出来たところで仕方がない、月の句はむつかしい、とりわけ、名月の句はむつかしい、蛇足として書き添へたに過ぎない。
九月十六日
今朝も三時には床を離れてゐた。
月を眺め、土を眺め、そして人間――自分を眺める、人間の一生はむつかしいものだ、とつく/″\思ふ。
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・月から夜《ヨル》の鳥ないて白みくる
明けてまんまるい月
□
・秋の空から落ちてきた音は何
・まづしいくらしのふろしきづゝみ
□
斬られても斬られても曼珠沙華
・ほつとさいたかひよろ/\コスモス
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夕方から其中庵へ出かける、樹明兄が冬村、二三雄その他村の青年と働いてゐられる、すまないと思ふ、ありがたいと思ふ、屋根も葺けたし、便所も出来たし、板敷、畳などの手入も出来てゐる、明日からは私もやつて出来るだけ手伝はう、手伝はなければ罰があたる、今日まで、私自身はあまり立寄らない方が却つて好都合とのことで、遠慮してゐたが、まのあたり諸君の労作を見ては、もう私だとてぢつとしてはゐられない、私にも何か出来ないことはない。
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・まづたのむ柿の実のたわわなる
暮れて戻つて秋風に火をおこす
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今夜もよい月である、月はいろ/\の事を考へさせる、月をひとりで眺めてゐると、いつとなし物思ひにふけつてゐる、それはあまりに常套的感傷だけれど、私のやうな日本人としては本当である、しんじつ月はまことなるかな[#「しんじつ月はまことなるかな」に傍点]。
九月十七日
晴、うすら寒いので、とう/\シヤツをきた、ことに三時にはもう起きてゐたのだから、――うつくしい月だつた、月光流とはかういふ景情だらうと思つた。
朝から其中庵へ出かける(飯盒そのものを持つて)、大工さんへ加勢したり、戸外を掃除したり、室内を整理したりする、近来にない専念だつた。
樹明さんから、ポケツトマネー(五十銭玉一つ)頂戴、それでやうやく煙草、焼酎にありつく。
夜、さらに同兄と冬村君と同道して来訪、話題は其中庵を離れない、明日は大馬力で其中庵整理、明後日入庵の予定。
これで、私もやつとほんとうに落ちつけるのである、ありがたし、/\。
じつさい寒くなつた、朝寒夜寒、障子をしめずにはゐられないほどである。
秋、秋、秋、今年は存分に秋が味はへる。……
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月のひかりのながれるところ虫のなくところ
・山の端《ハ》の月のしばし雲と遊ぶ
□
・なつめたわゝにうれてこゝに住めとばかりに(其中庵即時)
□
・またも旅するふろしきづつみが一つ(改作)
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九月十八日
晴、すこし風があつた。
満洲事変一週[#「週」に「マヽ」の注記]年記念日、方々で色々の催ほしがある。
私は朝から夕まで一日中其中庵で働らいた。
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庵は山手《ヤマテ》山の麓、閑静にして申分なし、しづかで[#「しづかで」に傍点]、しかもさみしうない[#「しかもさみしうない」に傍点]といふ語句を用ひたい。
椿の木の多いところ、その花がぽとり/\と心をうつことだらう。柿の木も多い、此頃は枝もたれんばかりに実をつけてゐる、山手柿[#「山手柿」に傍点]といつて賞味されるといふ。
彼岸花も多く咲いてゐる、家のまはりはそこもこゝも赤い。
樹明は竹格子を造り、冬村は瓦を葺く、そして山頭火は障子を洗ふ。
樹明、冬村共力して、忽ちのうちに、塵取を作り、箒を作り、何やらかやら作つてくれた。
電燈がついてから、竹輪で一杯やつて別れた(こゝはまさに酒屋へ三里、豆腐屋へ二里の感じだ)。
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私はそれからまた冬村君に酒と飯とをよばれた、実は樹明兄に昼食として私の夕飯を食べられてしまつたのである。
四日ぶりに入浴、あゝくたびれた。
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月にほえる犬の声いつまでも
・朝の雲朝の水にうつり
・水に朝月のかげもあつて
・水音のやゝ寒い朝のながれくる
・朝寒の小魚は岸ちかくあつまり
仕事のをはりほつかり灯つた
・秋風の水で洗ふ
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其中庵には次のやうな立札を建つべきか、――
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歓迎葷酒入庵室
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或は又、――
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酒なき者は入るべからず
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労働と酒とのおかげで、ぐつすり寝た、夢も見なかつた、このぐらゐ熟睡安眠したことはめつた[#「めつた」に傍点]にない。
留守に誰か来て、待つて、そして帰つたやうだなと思つたら、それは先刻別れた樹明兄だつた、……樹明兄はしばらくして、またやつて来られたさうな、そしたら山頭火が酔つぱらつて寝言をいつてゐたさ[#「さ」に「マヽ」の注記]うさうな、……私は知らない!
九月十九日
天地清明、いよ/\本格的秋日和となつた、働らくにも遊ぶにも、山も野も海も空も、すべてによろしいシーズンだ、よくぞ日本に生れける[#「よくぞ日本に生れける」に傍点]、とはこの事だ。
子規忌、子規はゑらかつた(私としてはあの性格はあまり好きでないけれど)、革命的俳人としては空前だつた、ひとりしづかに彼について、そして俳句について考へた、床の花瓶には鶏頭が活けてあり、糸瓜は畑の隅にぶらさがつてゐる。
朝から其中庵へ、終日掃除、掃いても掃いても、拭いても拭いてもゴミが出る。――
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此服装を見よ、片袖シヤツにヅボン、そのうへにレーンコートをひつかけてゐる(すべて関東震災で帰郷する時に友人から貰つた品)、頭には鍔広の麦桿帽、足には地下足袋、まさに英姿サツソウか!
更に此辨当を見よ、飯盒を持つてゆくのだが、それは私の飯釜であり飯櫃であり飯茶碗である。
日中一人、夜は三人(樹明、冬村の二君来庵)。
月を踏んで戻る、今夜もまた樹明君に奢つて貰つた、私は飲み過ぎる、少くとも樹明君の酒を飲み過ぎる。
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古釘をぬいてまはる、妙に寂しい気分、戸棚の奥から女の髪の毛が一束出て来た、何だか嫌な、陰気な感じ、よし、この髪の毛を土に埋めて女人塔[#「女人塔」に傍点]をこしらへてやらう。
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枝もたわわに柿の実の地へとどき
彼岸花の赤さがあるだけ
・つかれてもどるに月ばかりの大空
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九月廿日 小郡町|矢足《ヤアシ》 其中庵。
晴、彼岸入、そして私自身結庵入庵の日。
朝の井戸の水の冷たさを感じた。
自分一人で荷物を運んだ、酒屋の車力を借りて、往復二度半、荷物は大小九個あつた、少いといへば少いが、多いとおもへば多くないこともない、とにかく疲れた、坂の悪路では汗をしぼつた、何といふ弱い肉体だらうと思つた、自分で自分に苦笑を禁じえないやうな場面もあつた。
五時過ぎ、車力を返して残品を持つて戻ると、もう樹明兄がきてゐて、せつせと手伝つてゐる、何といふ深切だらう。
私がこゝに結庵し入庵することが出来たのは、樹明兄のおかげである、私の入庵を喜んでゐるのは、私よりもむしろ彼だ、彼は私に対して純真温厚無比である。
だいぶ更けてから別れた、ぐつすり眠つた、心のやすけさと境のしづけさとが融けあつたのだ。
昭和七年九月廿日其中庵主となる[#「昭和七年九月廿日其中庵主となる」に傍点]、――この事実は大満洲国承認よりも私には重大事実である。
底本:「山頭火全集 第四巻」春陽堂書店
1986(昭和61)年8月5日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※「騷」と「騒」の混在は底本通りにしました。
入力:さくらんぼ
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年3月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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