つた)。
川棚から小郡へきた時、私の荷物は三個だつた、着物と書物とで竹行李が一つ、蒲団と机とで菰包が一つ、外に何やら彼やらの手荷物一つである、ずゐぶん簡単な身軽だと思つてゐたのに、樹明兄は、私としてはそれでも荷物が多過ぎるといふ、さういへばさうもいはれる。
ざーつと夕立がきた、すべてのものがよろこんでうごく、川棚では此夏一度も夕立がなかつたが。
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・ひとりゐて蜂にさされた
 雨の蛙のみんなとんでゐる
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午後、樹明さんが黒鯛持参で来訪(モチ、銘酒註文)、ゆつくり飲む、夕方、山口まで進出して周二居を驚かす、羨ましい家庭であつた、理解ある母堂に敬意を表しないではゐられなかつた。
それから――それからがいけなかつた、徹宵飲みつゞけた、飲みすぎ飲みすぎだ、過ぎたるは及ばざるにしかず、といふ事は酒の場合に於て最も真理だ、もう酒には懲りた、こんな酒を飲んでは樹明さんにすまないばかりでなく世間に対しても申訳ない、無論、私自身に対し、仏陀に対しては頭を石にぶつけるほどの罪業だ。
我昔所造諸惑[#「惑」に「マヽ」の注記]業、皆由無始貪瞋痴、従身口意之所生、一切我今皆懺悔、――ほんとうに懺悔せよ。

 九月一日

朝の汽車でいつしよに戻る、そして河へ飛びこんで泳いだ、かうでもしなければ、身心のおきどころがないのだ、午後また泳いだ、六根清浄、六根清浄。
二百十日、大震災記念日、昨日の今日だ、つゝましく生活しよう。
今日も夕立がきた、降れ降れ、流せ流せ、洗へ洗へ、すべてを浄化せよ。
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・後悔の朝の水を泳ぎまはる
 ちんぽこにも陽があたる夏草(或はまら[#「まら」に傍点]か)
    □
・いやなおもひでのこぼれやすいはなだ(改作)
・朝月にこほろぎの声もととなうた
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とにかく、更生しなければ、私はとても生きてはゐられない、過去一切の董[#「董」に「マヽ」の注記]習を清算せずにはゐられなくなつた。

 九月二日

おだやかな雨、ことに昨夜は熟睡したので、のび/\とした気分であつた。
四時に起きて五時に食べ六時には勤行もすました、この調子で其中庵生活は営まれなければならない。
発熱倦怠、身心が痛む、ぢつとしてゐると、ついうと/\とする、甘酸つぱいやうな、痛痒いやうな気分である、考へるでもなく考へないでもなく、生死の問題が去来する、……因縁時節はどうすることも出来ない、生死去来は生死去来だ、死ぬる時は死ぬる、助かる時は助かる。……
事実を活かす[#「事実を活かす」に傍点]、飛躍[#「飛躍」に傍点]よりも漸進[#「漸進」に傍点]、そして持続[#「持続」に傍点]。
快い苦しみ、苦しい快さ(今日一日の気分はかうだつた)。
夕方、樹明さんに招かれて、学校の宿直室で十一銭のお辨当をよばれる、特に鶏卵が二つ添へてある、飯盒を貰つて戻る、御飯蒸器では(飯釜を持たないから)どうも御飯の出来栄がよろしくないので。
ごろりと横になつて、襖の文字を読む、――一関越来二処三処、難関再来一関覚悟、――此家の主人が若うして不治の疾にとりつかれたとき書きつけたのださうな。
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 いちじくの実や、やつとおちついた
・ゆふべは雨ふる蓮を掘る
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 九月三日

今朝も早かつた、四大不調は不思議に快くなつた、昨夜、樹明さんからよばれたタマゴがきいたのかも知れない、何しろ、薬とか滋養物とかいふものがきゝすぎるほどきく肉体の持主だから。
夕立がきた、夕立を観ず[#「夕立を観ず」に傍点]、といつたやうな態度だつた。
午後、周二さん来訪、予期しないでもなかつた、間もなく敬治君も来訪、予期したやうに、そして樹明兄は間違なく来訪。
汽車辨当で飲んだ、冬村君もやつてきて、小郡に於ける最初の三八九会みたいだつた。
よい雨、よい酒、よい話、すべてがよかつた、しかし一人去り二人去り三人去つて、私はまた独りぼつちになつた、かういふ場合には私だつてやつぱり寂しい、いや人並以上に寂しいのだ、それをこらへて寝た、夢のよくなかつたのは当然である。
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・こばまれて去る石ころみちの暑いこと(川棚温泉留別二句の内)
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 九月四日

雨、よう降りますね、風がないのは結構ですね。
午前は、樹明さん、敬治さん、冬村さんと四人連れで、其中庵の土地と家屋とを検分する、みんな喜ぶ、みんなの心がそのまゝ私の心に融け入る。……
午後はまた四人で飲む、そしてそれ/″\の方向へ別れた。
夕方から夕立がひどかつた、よかつた、痛快だつた。
さみしい葬式が通つた。
私はだん/\涙もろくなるやうだ(その癖、自分自身に対しては、より冷静になる)。
飯盒の飯はうまい、しかしこれは独
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