い友達の一人――の新居を訪ねる、井戸を掘つてゐる、よい水が湧いて出るといつて喜んでゐる、掘つた穴の底には水が溜つて、そして蛙がもう二三匹飛び込んでゐる、これが文字通りの井底蛙[#「井底蛙」に傍点]だ。
暑い、暑い、貧乏は暑いものだと知つた。
貧乏はとう/\切手を貼らない手紙をだす非礼を敢てせしめた、それを郵便集配夫がわざ/\持つてきて見せた厚意には汗が流れずにはすまなかつた、それでなくても暑くてたまらないのに、――そしてまた、次のやうな嫌味たつぷりの句を作らないではゐられなかつた。
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・炎天のポストへ無心状である
・貧しさは水を飲んだり花を眺めたり
    □
・炎天、夫婦となつて井戸も掘る
・掘ればよい水が湧く新所帯で
    □
 すゞしくなでしこをつんであるく
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昔――といつても徳川時代――には大酒飲を酒桶とよんださうな、酒が飲めない酒好きは徳利になりたがる、酒桶には及びもないが!
長い暑い一日がやうやく暮れて、おだやかな夕べがくる、茶漬さら/\掻きこんで出かける、どこへといふあてもない、何をしようといふのでもない、訪ねてゆく人もなければ訪ねてくる人もない現在の境涯だ、たゞ歩くのである、たゞ歩く外ないから。――

 七月廿九日

朝曇、日中は照りつけるだらう。
修證義読誦、芭蕉翁発句集鑑賞、その気品の高いことに於て、純な点に於て、一味相通ずるものがある、厳かにして親しみのある作品といふ感じである、約言すれば日本貴族的[#「日本貴族的」に傍点]である。
みんなよく水瓜を食べる、殊に川棚水瓜だ、誰もが好いてゐる、しかし私の食指は動かない、それだけ私は不仕合せだ。
隣室の旅人[#「旅人」に傍点](半僧半俗の)から焼酎と葡萄とをよばれる、久振にアルコールを飲んだので、頭痛と胃痛とで閉口した。
私はたしかにアルコールから解放された、ニコチンからも解放されつゝある、酒を飲まなくなり、煙草も喫はなくなつたら、さて此次は何をやめるか!
山百合、山桔梗、撫子、苅萱、女郎花、萩、等等等、野は山はもう秋のよそほひをつけるに忙しい。
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とんぼくはえてきた親つばめ子つばめ
あをむけば蜘蛛のいとなみ
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 七月三十日

晴、晴、晴、一雨ほしいなあ!
緑平老から来信、それは老の堅実を示し、同時に私の焦燥を示すものだつた、人生不如意は知りすぎるほど知つてゐる私であるが、感情的な私はともすれば猪突する、省みて恥ぢ入る外なかつた(造庵について)。
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・ラヂオがさわがしい炎天の花さいてゐて
・日ざかり、われとわがあたまを剃り
・星が光りすぎる雨が近いさうな
・どうしてもねむれない夜の爪をきる
・更けてさまよへばなくよきりぎりす
 殺された蚤が音たてた
・旅のこゝろもおちついてくる天の川まうへ
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今日は特種が一つあつた、私は生来初めて自分で自分の頭を剃つた、安全剃刀で案外うまくやれた、これも自浄行持の一つだらう。

 七月卅一日

いよ/\出かけた、五時一浴して麦飯を二三杯詰めこんで勢よく歩きだしたのである、もう蝉がないてゐる、法衣にとびついた蝉も一匹や二匹ではなかつた。
暑かつた、労れた、行程八里、厚狭町小松屋といふ安宿に泊る(三〇・中)、掃除が行き届いて、老婦も深切だが、キチヨウメンすぎて少々うるさい。
行乞相はよかつた、所得もわるくなかつた、埴生一時間、厚狭二時間、それだけの行乞で食べて飲んで寝て、ノンキに一日一夜生かさせていたゞいたのだから、ありがたいよりも、もつたいなかつた。
明日は是非小郡まで行かう、そして宮市へ、そこで金策しなければならない。……
歩くのはうれしい、水はうまい、強烈な日光、濃緑の山々、人さま/″\の姿。
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・涼しい風人形がころげる
・泳ぎつかれてみんな水瓜をかゝえ
・夾竹桃、そのかげで氷うりだした
 かぼちやごろ/\汐風に
・何と涼しい南無大師遍照金剛
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子のない女は何かペツトを持たずにはゐない、こゝのおばあさんは犬を可愛がつてゐる、もう老ひぼれ犬だ、そのきたない犬を座敷にあげて撫でたり擦つたりしてゐる、夜は抱いて寝るらしい、あれだけのキレイ好きが!

 八月一日

歩いて三里、汽車で三里、そして樹明居だ、いつもかはらぬ友情にひたつた、うれしかつた。
夜は飲んだ、冬村、二三男の二君来訪、四人でおそくまで話しつゞけた。
午前中二時間は厚狭裏町行乞、午後の二時間はまた船木町行乞、時々気分がみだれた、没分暁な奥様、深切なおかみさん、等、等。
昨日は蓮華のうつくしさ、今日は木槿のうつくしさを見た。
糸根(愛寝)といふ和泉式部の古蹟、寝太郎餅といふ名物。
馬占
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