をまともに眺められるところに庵居したいものだ。
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・鉄鉢かゞやく
・着飾らせて見せてまはつてゐる
・水音、なやましい女がをります
・暗さ匂へば螢
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夜、浴場で下駄をとりかへられた、どちらも焼杉(客用)だつたが、私の方がよかつた、宿に対して気の毒なので、穿き減らされた下駄の焼印を辿つて、その宿屋へ行つてとりかへしてきた、ちと足元に気をつけなさいと皮肉一口投げつけてをいて、――まことに脚下照顧[#「脚下照顧」に傍点]はむつかしい(此句は足元御用心とでも訳すべきだらう)。
今夜もまた睡れさうにないから、寝酒を二三杯ひつかけたが、にがい酒だつた、今夜の私[#「今夜の私」に傍点]としては。――
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アルコールよりカルモチン
   ちよつと一服|盛《モ》りましよか
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 六月四日 同前。

曇后晴、読んだり歩いたり考へたり、そして飲んだり食べたり寝たり、おなじやうな日がつゞくことである。
午後、小串まで出かける、新聞、夏帽、シヨウガ、壺を買ふ、此代金五十一銭也。
帰途、八幡の木村さんから紹介されて、森野老人を訪ねる、初対面の好印象、しばらく話した、桑の一枝を貰つてステツキとする、久しぶりにうまい水を頂戴する、水はいゝなあ、先日来、腹中にたまつてゐたものがすーつと流れてしまつたやうにさへ感じた。
人は人中[#「人は人中」に傍点]、田は田中[#「田は田中」に傍点]、といひますから……とは老人の言葉だつた。
此宿も一日二日はよかつたが、三日四日と滞在してゐると、だん/\アラが見えてくる、だいたい嬶天下らしいが、彼女はよいとして亭主なるものは人好きの悪い、慾張りらしい、とにかく好感の持てるやうな人間ぢやない。
今夜も睡れない、ちよつと睡つてすぐ覚める、四時がうつのをきいて湯にはいる、そして下らない事ばかり考へる、もしこゝの湯がふつと出なくなつたら、……といつたやうな事まで考へた。
杜鵑がなく、『その暁の杜鵑』といふ句を想ひだした、私はまだ/\『合点ぢや』と上五をつけるほど落ちついてゐない。
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・梅雨雲の霽れまいとする山なみふるさと
 仲よく連れて学校へいそぐ梅雨ぐもり
・どこまでも咲いてゐる花の名は知らない
・晴れきつた空はふるさと
 旅から旅へ河鹿も連れて
 更けて流れる水音を見出した
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隣室の客の会話を聞くともなしに聞く、まじりけなしの長州辯だ、なつかしい長州辯、私もいつとなく長州人に立ちかへつてゐた。
カルモチンよりアルコール、それが、アルコールよりカルモチンとなりつゝある、喜ぶべきか、悲しむべきか、それはたゞ事実だ、現前どうすることもできない私の転換だ。

 六月五日 同前。

朝は霧雨、昼は晴、夕は曇つて、そしてとう/\また雨となつた。
朝の草花――薊やらみつくさ[#「みつくさ」に傍点]やら――を採つてきて壺に投げ※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]した。
今日は日曜日であり、端午のお節句である、鯉幟の立つてゐる家では初誕生を祝ふ支度に忙しかつた(私のやうなものでも、かうして祝はれたのだ!)。
方々からたより[#「たより」に傍点]があつた、その中で、妹からのそれは妙に腹立たしく、I君からのそれはほんたうにうれしかつた(それは決して私が私情に囚はれたゝめではないことを断言する)。
隣室のヒステリー夫人ます/\ヒステリツクとなる、宿の人々も困り、私たちも困る。
萩の客人から、夏密[#「密」に「マヽ」の注記]柑についていろ/\の事を聞いた、柿と鴉と弓との話は面白かつた。
山下老人を訪ね、借りたい妙青寺の畠を検分する、夜、ふたゝび同道して寺惣代の武永老人を訪ねて、借入方を頼んだ。
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・おしめ影する白い花赤い花
 おとなりが鳴ればこちらも鳴る真昼十二時
・お寺のたけのこ竹になつた
    □
・こゝに落ちつき山ほとゝぎす(再作)
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今夜もまた睡られないで困つた、困つた揚句は真夜中の湯にでもはいる外なかつた。

 六月六日 同前。

雨風だ、こゝはよいところだが、風のつよいのはよくないところだ。
まるで梅雨季のやうな天候、梅雨もテンポを早めてやつてきたのかも知れない。
さみしさ、あつい湯にはいる、――これは嬉野温泉での即吟だが、こゝでも同様、さみしくなると、いらいらしてくると、しづんでくると、とにかく、湯にはいる、湯のあたゝかさが、すべてをとかしてくれる。……
安宿にもいろ/\ある、だん/\よくなるのもあれば、だん/\わるくなるのもある(後者はこの中村屋、前者はあの桜屋)、そして、はじめからしまゐまで、いつもかはらないのもある(この例
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