行乞しなかつた、留置の来信を受取つたら、もう何もしたくなくなつた、それほど私の心は友情によつてあたゝめられ、よわめられたのである。
或る友に、――どうやら本物の春が来たやうですね、お互にたつしやでうれしい事です、私は先日来ひきつゞいての雪中行乞で一皮脱ぐことが出来ましたので、歩いても行乞しても気分がだいぶラクになりました、云々。
緑平老の手紙は私を泣かせた、涙なしには読みきれない温情があふれてゐる、私は友として緑平老其他の人々を持つてゐることを不思議とも有難すぎるとも思ふ。
途中、或る農家でお茶をよばれたが、薩摩芋を強ゐられたには閉口した、あまり好きではないけれど、いや、むしろ嫌いな方だけれど、それは深切そのものなので、二切三切食べたが、胸がやけて困つた。
佐賀へは初めて来たが、市としては賑ふ方ぢやない、しかし第一印象は悪くなかつた。
湯屋の看板に『一浴心広体胖』、大盛うどん屋の立額に『はたらかざる人はくふべからず』。
昨夜はよい宿よい酒だつた、此宿もよくないとはいへないが、うるさくて、おち/\酒も飲めない。
同宿七人(例の二人連れの猿まはしさんとまた泊り合せた)、その中の遍路夫婦は小さい子供を四人も連れてゐる、無智と野卑と焦燥とを憐れまずにはゐられない。
三月四日[#「三月四日」に二重傍線] 晴、市中行乞、滞在、宿は同前。
九時半から二時半まで第一流街を行乞した、行乞相は悪くなかつた、所得も悪くなかつた。
何となく疲労を感じる、緑平老の供養で一杯やつてから活動へ出かける、妻吉物語はよかつた、爆弾三勇士には涙が出た、頭が痛くなつた、帰つて床に就いてからも気分が悪かつた。
戦争――死――自然、私は戦争の原因よりも先づその悲惨にうたれる、私は私自身をかへりみて、私の生存を喜ぶよりも悲しむ念に堪へない。
此宿は便利のよい点では第一等だ、前は魚屋、隣は煙草屋、そして酒屋はついそこだ、しかも安くて良い酒だ、地獄と極楽とのチヤンポンだ。
一年中の好季節となつた、落ちついて働きたい!
三月五日[#「三月五日」に二重傍線] すべて昨日のそれらとおなじ。
大隈公園といふのがあつた、そこは侯の生誕地だつた、気持のよい石碑が建てられてあつた、小松の植込もよかつた、どこからともなく花のかをり――丁字花らしいにほひがたゞようてゐた、三十年前早稲田在学中、侯の庭園で、侯等といつしよ
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