と火箸とを持つて来て下さつた、これは小さな出来事、ちよつとした深切であるが、その意義乃至効果は大きいと思ふ、実人生は観念よりも行動である、社会的革命の理論よりも一挙手一投足の労を吝まない人情に頭が下る。……

 一月五日[#「一月五日」に二重傍線] 霧が深い、そしてナマ温かい、だん/\晴れた。

朝湯へはいる、私に許された唯一の贅沢だ、日本人は入浴好きだが、それは保健のためでもあり、享楽でもある、殊に朝湯は趣味である、三銭の報償としては、入浴は私に有難過ぎるほどの物を与へてくれる。
次郎[#「郎」に「マヽ」の注記]さんから悲しい手紙が来た、次郎さんの目下の境遇としては、無理からぬことゝは思ふが、それはあまりにセンチメンタルだつた、さつそく返事をあげなければならない、そして平素の厚情に酬ゐなければならない、それにしても、彼は何といふ正直な人だらう、そして彼女は何といふ薄情な女だらう、何にしても三人の子供が可哀想だ、彼等に恵みあれ。
午後はこの部屋で、三八九会第一回の句会を開催した、最初の努力でもあり娯楽でもあつた、来会者は予想通り、稀也、馬酔木、元寛の三君に過ぎなかつたけれど、水入らずの愉快な集まりだつた、句会をすましてから、汽車辨当を買つて来て晩餐会をやつた、うまかつた、私たちにふさはしい会合だつた。
だいぶ酔うて街へ出た、そしてまた彼女の店へ行つた、逢つたところでどうなるのでもないが、やつぱり逢ひたくなる、男と女、私と彼女との交渉ほど妙なものはない。
自転車が、どこにもあるやうに、蓄音機も、どこの家庭にもある、よく普及したものは、地下足袋、ラヂオ、等、等。
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 朝霧の赤いポストが立つてゐる
 霧の朝日の葉ぼたんのかゞやき
・おみくじひいてかへるぬかるみ
 冬日ぬくう毛皮を張る
 しぐれ、まいにち他人《ヒト》の銭を数へる
 山に向つて久しぶりの大声
 灯が一つあつて別れてゆく
 葉ぼたん畑よい月がのぼる
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 一月六日[#「一月六日」に二重傍線] 雨、何といふ薄気味の悪い暖《ヌク》さだらう、そして何といふ陰欝な空模様だらう。

昨日は大金(今の現状では)を費つたが、今日は殆んど費はなかつた、切手三銭と湯銭三銭とだけ。
隔日に粥を食べることにしてゐる、経済的には僅かしか助からないけれど、急に運動不足になつた胃のためにたいへんよろしい。
次郎さんに手紙を書いた、――その心中を察して余りある事、感傷的になつては詰らない事、気持転換策として禅の本を読まれたい事、一度来訪ありたき事、等、等。
苦痛のために身心を歪曲されるやうでは駄目だ、人生といふものはおのづから道が開けてくるものである、といふよりも、人間は自分自身の道を見出さずには生きられないのである。
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 干し物そのまゝにしてしぐれてゐる
・ま夜中、熱いものをすゝる
・食べるもの食べつくしてひとり
 とりわけてうつくしい葉ぼたんの日ざし
・ぬくい夜の赤児へ話しかけてゐる
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 一月七日[#「一月七日」に二重傍線] 曇、后晴、寒くなつた、冬らしくなつた(昨日から小寒入だ)

銭がなくなつた、餅もなくなつたし米もなくなつた(銭は精確にいへば、まだ十三銭残つてゐるが)。
朝は腹も空いてゐないからお茶を飲んですます、午後は屑うどんを少しばかり買つて食べる、夜は密柑の残つたのを食べる、お茶がやつぱり一等うまい。
昨日も今日もアルコールなしだつた、飲みたいとも思はなかつた、私もやつとアルコールだけは揚棄することが出来ら[#「来ら」に「マヽ」の注記]しい、そして昨日も今日も私一人だつた、訪ねてもゆかず、訪ねてくるものもなかつた、たゞ一人ぢつとして読んでゐた、考へてゐた、そして平静だつた。
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・お茶でもすませる今日が暮れた
・散つては咲く梅の水かへる
 寒うなつて葉ぼたんうつくしい
 生活の御詠歌うたふも寒いこと
・音たてゝ食べる夜《ヨル》の人
・街の雑音の密柑むく
・星が寒う晴れてくるデパートの窓も
・いちりんのその水仙もしぼんだ
 尿する月かくす雲のはやさよ
 寒月の捨犬が鳴きつゞける
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 一月八日[#「一月八日」に二重傍線] 朝のうちはうらゝかな晴れだつたが、午後は曇つた。

今朝は嫌な事と嬉しい事とがあつた、その二つを相殺しても、まだまだ嬉しさが余りあつた、――といふのは、起きてすぐ前の畠に尿して道を横ぎらうとするところへ、まご/″\走る自動車がやつてきた、彼は巡査だつた、私が尿したのを見たのだらう、そして恐らくは自分のまご/″\を隠すためだらう、そこへ小便してはいかんぢやないか、といひ捨てゝいつた、私は無論何とも答へなかつた、そして彼の没常識を憐んだ、
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