ウチユウ一本なかるべからざる次第である。
一日降りつゞけて風さへ加はつた、明日の天候も覚束ない、まゝよどうなるものか、降るだけ降れ、吹くだけ吹け。

 十月卅一日[#「十月卅一日」に二重傍線] 曇后晴、行程四里、延岡町、山蔭屋(三〇・中上)

風で晴れた、八時近くなつて出発、途中土々呂を行乞して三時過ぎには延岡着、郵便局へ駆けつけて留置郵便を受取る、二十通ばかりの手紙と端書、とり/″\にうれしいものばかりである(彼女からの小包も受取つた、さつそく袷に着換へる、人の心のあたゝかさが身にしみこむ)。
今日は風が騒々しかつた、少し熱のある身体で行乞するのは少し苦しかつた、これも死ねない人生の一片だらう。
此地方の子供はみんな跣足で学校へゆく(此地方に限らず、田舎はどこでもさうだが)、学校にはチヤンと足洗ひ場がある、ハイカラな服を着てハイカラな靴を穿いた子供よりもなんぼう親しみがあるか知れない、また、此地方にはアンテナを見ることが稀だ、それだけ近代文化は稀薄だともいへやう。
此宿も悪くない、二三年前山蔭で同宿したことのある若い世間師に再会した、彼は私をよく覚えてゐた、私も彼をよく覚えてゐた、世の中は広いやうで狭い、お互に悪い事は出来ませんなあ、といつて挨拶をかはしたことだつた。
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 ゆき/\て倒れるまでの道の草
・酔ひざめの星がまたゝいてゐる(野宿)
 風が出てうそ寒い朝がやつてきた
・夕寒の豚をひきずりまはし
・すこし熱がある風の中を急ぐ
 跣足の子供らがお辞儀してくれた
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三日振に湯に入つて髯を剃つて一杯ひつかけた、今夜はきつといゝ夢をみることだらう!

 十一月一日[#「十一月一日」に二重傍線] 曇、少雨、延岡町行乞、宿は同前。

また雨らしい、嫌々で九時から二時まで延岡銀座通を行乞、とう/\降りだした、大したことはないが。
例の再会の人とは今朝別れる、彼は南へ、私は北へ――そして夕方また大分で同宿したことのあるテキヤさんと再会した、逢うたり別れたり、さても人のゆくへはおもしろいものである。
同宿の土方でテキヤさんはイカサマ賽を使ふことがうまい、その実技を見せて貰つて、なるほど人はその道によつて賢しだと感心した。
昨日も今日も行乞相は悪くなかつた、しかしまだ/\境に動かされるところがある、いひかへれば物に拘泥するのである、水の流れるやうな自然さ、風の吹くやうな自由さが十分でない、もつとも、そこまで行けばもう人間的ぢやなくなる、人間は鬼でもなければ仏でもない、同時に鬼でもあれば仏でもある。
隣室の老遍路さんは同郷の人だつた、故郷の言葉を聞くと、故郷が一しほ懐かしくなつて困る。……
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空たかくべんたういたゞく
光あまねく御飯しろく
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女房に逃げられて睾丸を切り捨てた男――その男が自身の事をしやべりつゞけた、多分、彼はその女房の事で逆上してゐるのだらう、何にしても特種たるを失はなかつた。
Gさんに、――我々は時々『空』になる必要がありますね、句は空なり、句不異空といつてはどうです、お互にあまり考へないで、もつと、愚になる、といふよりも本来の愚にかへる必要がありますね。
どうやら雨もやんだらしい、明日はお天気に自分できめて寝る、私にもまだ明日だけは残つてゐる、来月はないが、もちろん来年もないが。

 十一月二日[#「十一月二日」に二重傍線] 曇、后晴、延岡町行乞、宿は同前。

九時から一時まで辛うじて行乞、昨夜殆んど寝つかれなかつたので焼酎をひつかける、それで辛うじて寝ついた――アルコールかカルモチンか、どちらにしても弱者の武器、いや保護剤だ。
同宿の同郷の遍路さんとしみ/″\語つた、彼は善良なだけそれだけ不幸な人間だつた、彼に幸福あれ。

 十一月三日[#「十一月三日」に二重傍線] 晴、稍寒、延岡町行乞、宿は同前。

だいぶ寒くなつた、朝は曇つてゐたが、だん/\晴れわたつた、八時半から三時半まで行乞する、近来の励精である。
今日の行乞相はたしかに及第だ、乞食坊主としてのすなほさ[#「すなほさ」に傍点]とほこり[#「ほこり」に傍点]とを持ちつゞけることが出来た、勿論、さういふものが残つてゐるほど第二義的であることは免れないけれど。
いよ/\シヨウチユウとも縁切りだ。
うるかを買はうと思つたがいゝのがなかつた、松茸を食べたいと思ふが、もう季節も過ぎたし、だいたい此地方では見あたらない、此秋は松茸食べなかつたゞけぢやない、てんで見ることも出来なかつた、それにしても故郷の香り高い味はひを思ひださずにはゐられない。
新来のお客さん四人、みんな同行だ、話題は相変らず、宿の事、修行の事、そしてヨタ話。
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ふる郷の言葉なつかしう話しつゞけ
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