さう/\として聞えるのもよい。
米の安さ、野菜の安さはどうだ、米一升十八銭では敷島一個ぢやないか、見事な大根一本が五厘にも値しない、菜葉一把が一厘か二厘だ、私なども困るが――修業者はとてもやつてゆけまい――農村のみじめさは見てゐられない。
行乞相はよかつたりわるかつたり、恥づかしいけれどそれが実相が[#「が」に「マヽ」の注記]仕方がない、持寂定ならばそれは聖境だ、私は右したり左したり、上つたり下つたり、倒れたり起きたり、いつも流転顛動だ。
たま/\鏡を見る、――何といふ醜い黒い顔だらう、この顔を是認するほど私の心地はまだ開けてゐない、可憐々々。
途上、店頭で柚子を見つけて一つ買つた、一銭也、宿で味噌を分けて貰つて柚子味噌にする、代二銭也。
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・まつたく雲がない笠をぬぎ
 よいお天気の草鞋がかろい
 警察署の芙蓉二つ三つ咲いて
・秋空、一点の飛行機をゑがく
・見あぐればまうへ飛行機の空
・けふのべんとうは橋の下にて
 旅の法衣で蠅めがつるむ
 刈田の青草ぐい/\伸びろ
・大石小石かれ/″\の水となり
 もぎのこされた柿の実のいよ/\赤く
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早く寝たが、蚤がなか/\寝せない、虱はまだゐないらしい、寝られないまゝに、同宿の人々の話を聞く、競馬の話だ、賭博本能が飲酒本能と同様に人生そのものに根ざしてゐることを知る(勿論、色、食の二本能以外に)。

 十月廿七日[#「十月廿七日」に二重傍線] 晴、行程三里、美々津町、いけべや(三〇・中)

いゝお天気である、午前中は都農町[#「都農町」はママ]行乞、それからぼつ/\歩いて二時過ぎ美々津町行乞、或る家で法事の餅をよばれる、もつと行乞しなければ都合が悪いのだが、嫌になつたので、丁度出くわした鮮人の飴売さんに教へられて此宿に泊る、予期したよりもよかつた。
けさはまづ水の音に眼がさめた、その水で顔を洗つた、流るゝ水はよいものだ、何もかも流れる、流れることそのことは何といつてもよろしい。
同宿者の一人、老いかけやさんは異色があつた、縞のズボンに黒の上衣、時計の鎖をだらりと下げてゐる、金さへあれば飲むらしい、彼もまた『忘れえぬ人々』の一人たるを失はない。
途上、がくね[#「ね」に「マヽ」の注記]んとして我にかへる――母を憶ひ弟を憶ひ、更に父を憶ひ祖母を憶ひ姉を憶ひ、更にまた伯父を憶ひ伯母を憶ひ――何のための出家ぞ、何のための行脚ぞ、法衣に対して恥づかしくないか、袈裟に対して恐れ多くはないか、江湖万人の布施に対して何を酬ゐるか――自己革命のなさざるべからざるを考へざるを得なかつた(この事実については、もつと、もつと、書き残しておかなければならない)。
村の共同浴場、一銭風呂といふのを宿のおばさんに教へられて、行つてみたが駄目だつた、まだ沸いてゐなかつた、それにしても丘をのぼり、墓場を抜け、農家の間を抜けて、風呂場へ行くとは面白いではないか。
今日も此宿で、修行遍路ではやつてゆけない実例と同宿した、こんなに不景気で、そしてこんなに米価安では誰だつて困る、私があまり困らないですむのは、袈裟の功徳と、そして若し附け加へることを許されるならば、行乞の技巧とのためである。
入浴、そして一杯ひつかける、――これで今日の命の終り!
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・ひとりきりの湯で思ふこともない
 旅のからだでぽり/\掻く
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 十月廿八日[#「十月廿八日」に二重傍線] 曇、雨、行程三里、富高町、成美屋(特二五・上)

おぼつかない空模様である、そしてだいぶ冷える、もう単衣ではやりきれなくなつた、君がなさけの袷を着ましよ!
行乞には早すぎるので(四国ではなんぼ早くてもかまはない、早くなければいたゞけない、同行が多いから)、紅足馬さんから貰つてきた名家俳句集を読む、惟然坊句集も面白くないことはないけれど、隠者型にはまつてゐるのが鼻につく、やつぱり良寛和尚の方がより親しめる。
八時から十一時まで美々津町行乞、とう/\降りだした、濡れて峠を越える、三度も四度も雨やどりして、此宿についたのが四時、お客さんでいつぱいなので裏の隠宅――といへば名はいゝがその実はバラツク小屋――に泊めてもらう、相客は老遍路さん一人、かへつて遠慮がなくてよろしい。
今日の行乞相は、現在の私としては、まあ満点に近い方だつた、我といふものがなかつたとはいへないが、ないに近い方だつた、そして泊つて食べる(その上に酒一本代)だけは頂戴することが出来た。
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・墓がならんでそこまで波がおしよせて
 いざり火ちら/\して旅はやるせない
 やるせない夢のうちから鐘が鳴りだした
 朽ちてまいにち綻びる旅の法衣だ
 眼がさめたら小さくなつて寝ころんでゐた
 覗いてる豚の顔にも秋風

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