くもない、とにかく安い、質と量とそして値段と共に断然他を圧してゐる、いつも大入だ。
夜はまた作郎居で句会、したゝか飲んだ、しやべりすぎた、作郎氏とはこんどはとても面接の機があるまいと思つてゐたのに、ひよつこり旅から帰られたのである、予想したやうな老紳士だつた、二時近くまで四人で過ごした。

 九月廿八日[#「九月廿八日」に二重傍線] 曇后晴、生目社へ。

お昼すぎまで大淀――大淀川を東に渡つたところの市街地――を行乞してから、誰もが詣る生目様へ私も詣つた、小つぽけな県社に過ぎないけれど、伝説の魅力が各地から多くの眼病患者を惹きつけてゐる、私には境内にある大楠大銀杏がうれしかつた、つく/\ぼうしが忙しくないてゐたのが耳に残つてゐる、帰途は近道を教へられて高松橋(渡し銭三銭)を渡り、景清公御廟所といふのへ参詣する、人丸姫の墓もある(景清の墓石は今では堂内におさめてある、何しろ眼薬とすべく、その墓石を削り取る人が多くて困つたので)。
今日はしつかり労れた、六里位しか歩かないのだが、脚気がまた昂じて、足が動かなくなつてしまつた、暮れて灯されてから宿に帰りついた、すぐ一風呂浴びて一杯やつて寝る。
また一つ旅のヱピソード、――この宿は子沢山で、ちよつと借りて穿くやうな下駄なんぞありやしない、やうやく自分で床下からチグハグなのを片足づゝ探し出したが、右は黒緒の焼杉、左は白緒の樫、それも歩いてゐるうちに、鼻緒も横も切れてしまつて、とう/\跣足にならなければならなかつた。
大淀の丘に登つて宮崎平原を見おろす、ずゐぶん広い、日向の丘から丘へ、水音を踏みながら歩いてゆく気分は何ともいへないものがあつた、もつともそれは五六年前の記憶だが。
昨日、篤信らしい老人の家に呼び入れて[#「れて」に「マヽ」の注記]、彼岸団子をいたゞいたこと、小豆ぬり、黄粉ぬり、たいへんおいしかつたことを書き漏らしてゐた、かういふ場合には一句なければならないところだ。
これは闘牛児さんの話である、氏の宅の井戸水はおつとりとした味を持つてゐる、以前は近隣から貰ひにくるほどの水だつたさうなが、厳父がヨリよい水を求めて掘り下げて却つてよくない水としたさうな、そしてまたそれを砂利で浅くして、やうやくこれだけの水が出るやうになつたとのことである、このあたりは水脉が浅いらしい、とにかく、掘りさげて水が悪くなつたといふ事実は或る暗
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