つで一銭、そして醤油代が一銭、合計四銭の御馳走也。

 九月廿五日[#「九月廿五日」に二重傍線] 雨、宮崎市、京屋(三五・上)

たいして降りさうもないので朝の汽車に乗つたが、とう/\本降りになつた、途中の田野行乞もやめて一路宮崎まで、そして杉田さんを訪ねたが旅行中で会へない、更に黒木さんを訪ねて会ふ、それからこゝへ泊る。
けふは雨で散々だつた、合羽を着けれど、草鞋のハネが脚絆と法衣をメチヤクチヤにした、宿の盥を借りて早速洗濯する、泣いても笑つても、降つても照つても独り者はやつぱり独り者だ。
こゝは水が悪いので困る、便所の汚ないのにも閉口する、座敷は悪くない、都城でのはれ/″\しさはないけれど。
列車内で乗越切符書換してくれた専務車掌さんには好感が持てた、どこといつていひどころのないよさがあつた、禅の話は好きで得るところが多いなどゝも語つた。
宮崎県の文化はたしかに後れてゐる、そして道を訊ねても教へ方の下手、或は不深切さが早[#「早」に「マヽ」の注記]敢ない旅人を寂しがらせる、たゞ町名標だけは間違ひなく深切だつたが。
隣室の若夫婦、逢うて直ぐ身の上話を初める、失敗つゞきの不運をかこつ、彼等は襤褸を着て故郷に帰つたところだ、まあ、あまり悲観しないで運のめぐつてくるをお待ちなさい、などゝ、月並の文句を云つて慰める。
雨そのものは悪くないけれど、雨の窓でしんみりと読んだり考へたりすることは好きだけれど、雨は世間師を経済的に苦しめる、私としては行乞が出来ない、今日も汽車賃八十銭、宿料五十銭、小遣二三十銭は食ひ込みである、幸にして二三日前からの行乞で、それだけの余裕はあつたけれど。
子供が泣く、ほんたうに嫌だ、私は最も嫌ひなものとしては、赤子の泣声を[#「を」に「マヽ」の注記]或る人の問に答へたことがある。
夜になつて、紅足馬、闘牛児の二氏来訪、いつしよに笑楽といふ、何だか固くるしい料理屋へゆく、私ひとりで飲んでしやべる、初対面からこんなに打ち解けることが出来るのも層雲のおかげだ、いや俳句のおかげだ、いや/\、お互の人間性のおかげだ! だいぶおそくなつて、紅足馬さんに送られて帰つて来た、そしてぐつすり寝た。
旅のヱピソードの一つとして、庄内町に於ける小さい娘の児の事を書き添へておかう、彼女はそこのブルの秘蔵娘らしかつた、まだ学齢には達しないらしいけれど、愛嬌のある茶目子だつた
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