ぐさめであり力である。
 しかし、私にはまだ自選の自信がなかったので、すまないとは思いながら、井師に厳選をお願いした、師が快く多忙な貴重な時間を割いて、何から何まで行き届いたお心づかいに対しては、まことに何ともお礼の申しあげようがない。
 句集出版については北朗兄を煩わした。まだ一面の識もない私に示された好意と斡旋とは永久に忘れることがないであろう。
 そしてさらに、後援会の事務一切を一身に引き受けて、面倒至極な事務をあんなに手際よく取り捌いて下さった酒壺洞兄に心からの謝意を表することを忘れてはならない。
 緑平老、白船老の厚情については説くまでもあるまいが、元寛兄、俊兄、星城子兄、入雲洞兄、樹明兄、敬治兄等の並々ならぬ友誼については、ここで感謝の一念を書き添えずにはいられない。

 こうして、身にあまる恩恵につつまれつつ、私は東漂西泊した。鉢の子という題名は私の句集にふさわしいものであった。一鉢千家飯、自然が人が友が私に米塩と寝床とをめぐんだ。

 庵居の場所を探ねるにあたって、私は二つの我儘な望みを持っていた。それが山村であること、そして水のよいところか、または温泉地であることであった。
 最初、嬉野温泉でだいぶ心が動いた、そこは、水もよく湯もよかった。視野が濶けすぎて、周囲がうるさくないこともなかったけれど、行乞の便利は悪くなかった。しかし何分にも手がかりがない。見知らぬ乞食坊主を歓迎するほどの物好きな人を見つけることが出来なかった。

 ついで足をとめたのが川棚温泉である。関門の都市に遠くない割合に現代化していない。山もうつくしいし湯もあつい。ことにうれしいのは友の多い都市に近いことであった。私はひとりでここが死場所であるときめてしまった。
[#ここから2字下げ]
花いばらここの土とならうよ
[#ここで字下げ終わり]
 こんな句が口をついて出るほどひきつけられたので、さっそく土地借入に没頭した。人の知らない苦心をして、やっと山裾の畑地一劃を借入れる約束はしたが、それからが難関であった。当村居住の確実な保証人を二人立ててくれというのである。幸にして幸雄兄の知辺があるので、紹介して貰って奔走したけれど、田舎の人は消極的で猜疑心が強くて、出来そうで出来ない。一人出来たと喜べば、二人目が破れて悲しませる。二人目が承諾すると、一人目が拒絶する。――私はこの時ほど旅人の
前へ 次へ
全6ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング