も伜のいる満洲に渡らなければならないと言いはじめた。その松太のいるところと開拓団の入植するところとは、相当に離れていた。ちよつとやそつとでは行き来の出来るところではないと、竹松の親戚の者も源治もみんな口をそろえて言つたが、竹松はそんなことはテンデ問題にしなかつた。会えなければ会えないでもかまわない。松太のいる同じ満洲に行くことさえできれば満足だ、同じ満洲に松太がいることさえわかれば、それで気が済む、死んでも心残りはないと、頑としてきかなかつた。それだけのことで、あんな遠方に行つてどうすると、竹松の兄弟たちがいくら渡満を思いとまらせようとかかつても、まるで歯が立たなかつた。それで一人では心細いから、武三を連れて行くというのであつた。どうせ大勢の団員のなかに挾まつて行くのだから、武三は置いて行つてもよかろうと言つたが、今度は武三自身が渡満の夢で夢中になつていて、源治の言うことなど全然相手にしなかつた。
 源治は途方に暮れた。竹松を罵り、武三をうらんだ。いつたい何でこんな大戦争をしなければならないのか、勝手にただ一人の働き手の佐太郎を、田圃からひツこぬいて掠《かす》つて行つた戦争を呪つた。毎日朝から晩まで、来春から田圃をどうするかと歎き暮した。
 春野も近づいて、源治はヒヨツコリと耳寄りな話を聞きこんだ。一里ばかり離れた部落の倉治という家で、十六になる幸助という三番目の息子を、若勢に出すと言つているというのであつた。源治は雀躍《こおど》りした。十六と言えば武三よりも一つ年が若いが、使つているうちに直きに一人前働けるようになる。そんな子供ならば、他にそんなに頼み手もあるまい。これは一つ、是が非でもものにしなければと、源治は早速ビツコ足をひきずるようにして頼みに出かけた。
「幸助のことですか、幸助ならば、先に本家から頼まれています」
「本家ツて――どこの」
「あなたの家の――」
 ほかならぬ兄の源太郎が、もう先手を打つていると聞いて、源治は顔をかげらせた。源太郎の家では、長男が早くから樺太に渡つて向うで世帯を持ち、次男は出征、三男の源三郎が田圃を仕付けていたが、つい最近これも召集されて、源太郎はスツカリ戸まどいしていた。
「本家は、何俵出すと言つたかな」
 よし、それならば米を余計奮発して、幸助をこつちに取ろうと、源治は身がまえた。
「十俵出すという話でしたよ」
「えツ――十俵」
 眼をまわしたが、直ぐに気をとり直した。
「十俵とは大したもんだなあ、が、時世時節《ときよじせつ》で仕様がない、俺はもう一俵つけて、十一俵呉れるから、是非とも俺の方に頼む――なあに、本家ではまた他に頼む口があるべからなあ」
 そのあとから源太郎が来て、その上もう一俵出すと言つた。源治も負けずに、最後の踏んばりで、更にその上一俵出すと言つた。だが本家はまたその上に出た。源治はビツコ足をひいて五度も六度も一里余の遠路を通いつづけたが、ついにそのせり合いに敗れ去つた。本家は十六才の子供に、住みこみで年に十四俵の米に作業着一切をもつという前代未聞の高賃銀を約束することで、別家の源治を沈黙させてしまつた。
 田圃がスツカリ乾いて、馬耕が差し迫つて来ているというのに、若勢の争奪戦に敗れた源治は、乾大根の尻尾みたいにしなびた顔を、さらに青くして寝こんでしまつた。
 その枕もとに、隣村の顔見知りの千代助がヒヨツコリやつて来て、ずんぐりとした膝を折つた。
「なんとだ、いい嫁があるが、貰わないか」
 そうだ、働き者の嫁をもらえば、春野は切りぬけられる――源治は思わず枕から首を浮かしたが、直ぐまた落した。嫁をもらう当人の佐太郎がいないのだ。
「貰うにしたつて、戦地に行つてるもの、どうにもならないよ」
「行つてるままでいいツていうのだよ」
 枕もとに木の根ツこみたいに坐つた千代助は落着き払つてのんびりと話をすすめた。
「どこの家だ、それは」
「杉淵の清五郎の姉娘だ」
「えツ――清五郎」
 隣村の杉淵の清五郎と言えば、一寸した旧家で源治などよりも余計に田をつくつている裕福な家であつた。しかもその姉娘の初世というのは、器量はよいし、よく働くしで評判の娘であつた。それが、もう二十四にもなるというのに、あちこちから持ちかけられる縁談を振り向きもしないということを源治も耳にしていたので、無論佐太郎の嫁にということなど考えてみたことがなかつた。
 家の格から言つても源治には望めそうもない相手である上に、当人の佐太郎が家にいもしないのに、初世を嫁に呉れるというのだ。あんな働き者の嫁がもらえたら、もう田圃は心配がいらない。だが、あんまり棚からボタ餅のうまい話に、なんだか狐につままれたような変な気がして、なんと返事していいかまごついた。
「呉れるというなら、貰いもするが、ほんとかよ、ほんとに呉れるツて
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