ことは云ふまでもないが――ミレーとの間により多くの親縁を持つとも云ひ得るであらう。而もその説教が、ミレーと異る「良心の不安」を背景とするが故に、如何なる長所を以てするも結局「日蔭の芸術」に近いことを如何ともなし得ないのである。
然らば十八世紀の浮世絵と十九世紀の仏蘭西印象派との間に此の如き相違を持来したものは何であるか――これは徳川時代の芸術を理解せむとする者が、誰でも一度は問はずにゐられぬ問題である。
2
千九百二十二年七月廿八日、ベルリンに著いて間もなくのことである。私は大使館のY君の私宅で端唄の「薄墨」のレコードを聴いた。その夏はベルリンでは寒い雨勝な夏であつた。独逸の困窮と不安とは未だ馴れぬ旅ごゝろを特に寂しく落付かぬものとした。さうしてこの不安ながたがた[#「がたがた」に傍点]した町の中で、故国のしめやかな哀音を耳にするのは、何とも云へぬ心持であつた。この言葉少なな、溢れ出る感情を抑へに抑へた、咽び音のやうに幽かな魂の訴へは、欧羅巴のカフェーと其処でダンスにつれて奏せられる騒々しい音楽に比較して、何といふ深淵によつて隔てられてゐることであらう。此の如き音楽を
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