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私は更に一例を附加する。日本をたつとき、私は土産にするために復刻の哥麿浮世画集を持つて行つた。千九百二十二年の八月、ハイデルベルクの下宿に落付いたとき、私は日本好きの其処の夫人に、この画集中彼女自身の選んだ四五葉を贈つた。さうして自分は鏡台二美人図(上村屋版、橋口五葉氏の説に従へば寛政七年頃の作であるらしい)をかけて置いた。前向きに鏡に向つて、赤い櫛を持つて前髪との境をかきわけようとしてゐる、浅黄の縦横縞の浴衣を着た女は、暫くの間その婉柔な姿勢と顔とを以て私の心を和かにして呉れた。併し時を経るに従つて、そのしどけなくとけかかつた帯下や、赤い蹴出しを洩れる膝などが私の心をかき紊すやうになつて来た。私は五月蠅くなつてそれをとり外してしまつた。さうすると、或日夫人が私の部屋にやつて来て、それに気がついたと見えて、貴方はウタマーロを何処にやつたのですかときいた。私は、それは Erhebend(高める力あるもの)でなくていやになつたから取外してしまつたのです、と答へると、彼女は独逸流の卒直を以て、ではなぜそんなものを私に下すつたのですと反問した。「それは Erhebend ではない
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