京に帰つた自分には、固よりこのやうな享楽の機会は絶対に与へらるべくもなかつた。私はせめてもの代償を亦蓄音機に求めた。例へば松尾太夫の吉田屋の如きは私の最も聴かむと欲する音楽であつた。生憎このレコードも亦求めて得られぬ恋に過ぎなかつたが、併し私は端唄や、清元や、新内の「明烏」のやうなものを買ひ求めて、暫くの間これに聴き耽つてゐた。さうして、悲しいかな、私は此処でも亦日本音楽の「限界」に触れることを余儀なくされたのである。
 然らばその限界とは何であるか。それは Fiat lux(光をつくる力)を欠くことである。繰返し繰返しこれ等の音楽をきいてゐるうちに、私の心は陰鬱に、ひたすらに陰鬱になるのみであつた。私の心は底なき穴の中にひきずり込まれて行くことを感じた。さうしてその無底の洞穴を充すものは、はてしなき憂愁の響のみであつた。無限の哀音は東西を絶して薄明の中を流れる。私はこの「絶望」の声の中にゐるに堪へなくなつて、再びべートー※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ンやバッハの音楽に救ひを求めた。
 徳川時代に発達した日本の音楽は――三味線音楽は、何故に此の如き絶望の音楽となつたか。

  
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