にある椅子に腰を下《おろ》して、さう大した明るいとは言へない光線の下《もと》に、寝床《ベツト》の上に敷かれた白いシイトや、鞄などの置くやうになつてゐる棚などの静かに照されてゐるのを見廻した。かれは何とも言へないさびしさのひしと身を襲つて来るのを感じた。しかもそれは旅情と言つたやうなものではなかつた。Bは身につまされたといふやうな心持で、かうした蒙古風の吹き荒《すさ》んでゐる塞外《そくぐわい》の地に入つて行くH夫妻に同情した。(でも若い二人だから好い……。何んな困難でも二人で切抜けて行かうといふのだから好い――)かう独語したBは、T氏の言つた言葉などをも思ひ出さずにはゐられなかつた。
そのあくる日であつたか、北京の宮殿の見物からBが戻つて来ると、そこにこれから外出しようとしてゐるH夫妻がゐて、「おや! あなたも此方《こちら》でしたかな?」などと声をかけられた。ドイツ種の大きな犬は、盛装した夫人の周囲を頻りにぐるぐると廻つてゐた。そして時々大きな声を立てゝ吼えた。
「こら、こら! ヂヤツク!」かうH夫人はやさしく制した。
「中々好いですね。奥さんが伴れてあるくと、よく調和しますよ」
こんなことをBが言ふと、
「左様で御座いますか。……」かう夫人は言つて顔を赧《あか》くして、「それでも、役には立ちますので御座いますよ……。今日も午前に万寿山《まんじゆやま》で、あそこの乞食をこれが退撃《たいげき》して呉れましてね。大変に助かりました――」
「そんなに乞食が多う御座んすか?」
「え、え、あそこは――。汚ない恰好《かつかう》をして近くへ寄つて来るので御座いますもの――」
「あゝいふ時には、かういふ奴は役に立ちますよ」
「さうでせうな……」かう言つたBはすぐ言葉を続いで、「それで、まだお立ちにはならないのですか?」
「いや、もう行かなければならないのですけれども、丁度、今、節《せつ》がわるくて、馬車が御座いませんものですから……」
「此方《こちら》からいつでも馬車を仕立てゝ行けるのではないんですか?」
「北京にゐる奴《やつ》は、何うも行くのをいやがりましてな。何しろ遠いんですから。向うから来てゐる奴《もの》でないと、何うしても行かうとは言はないんです?」
「それは大変ですな……。それにしても、その赤峰といふところまで一体幾日かゝるんです?」
「さうですな……。路がわるいですか
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