ないためであると見るべきであるが、それら坊さんたちの料簡にして見れば、いやしくも黄檗山に僧たるほどの者、かくかくの書風、かくかくの特色を発揮せずばとの因襲的囚われがあるからであろう。それが私どもの眼には、手に採るように受け取れるのである。芸術の本義を悟り得ないで漫然となぜそんなところに囚われているのかを問うたらば、それはいうまでもなく、ただもう職場を守る……で説明は尽きるであろう。
その職場を守るには、宗教上大乗的に、そぐわない大矛盾そのものが潜んでいよう。そんなこんなが聚るところに、眉をひそめねばならぬものが次々と生じ、そこに俗健の大量販売は当然に生まれて来るのである。それならば流派、宗派に囚われるものは、必ず俗道に堕落し、必ず俗書を生むかといえば、さようにばかりもいえないのである。それは黄檗当初における大徳寺派の僧侶中には黄檗に見るような俗健は一人として見うけられない事実がある。とにかく囚われるということは伝統的にイデオロギーが違うにもよろうし、そこに集合する人々の人品骨柄が類を呼ぶ的に異っているせいもあろう。特に相違する点は、中国人と日本人との民族の開きである。
およそ東洋の
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