夜寒に火を囲んで懐しい雑炊
北大路魯山人
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)風情《ふぜい》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)料理|下手《べた》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「王+干」、第3水準1−87−83]
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元来、美味な料理ができないという理由は、料理する人が鋭敏な味覚の舌をもたないことと、今一つは風情《ふぜい》というものの力が、どんなにうまく料理を工夫させるかを知らないからに基因する。この風情とは、美的趣味と風流とが主になって働きかけ、まず見る眼《め》を喜ばせ、次に食べる心を楽しませるのである。
しかし、料理という仕事も至芸《しげい》の境にまで進み得ると、まことに僅少《きんしょう》な材料費、僅少な手間ひまでなんの苦もなく立ちどころに天下の美料理を次から次と生むことができるものである。よく主婦の料理|下手《べた》を非難するもののあることを耳にするが、一家の主婦に料理の上手を求めようとするほどの者は、まずもって求める者以上に、主婦をしてよい料理体験をなさしめることである。
牡蠣《かき》雑炊
こんなものを作ることは、まったくなんでもないことで、誰にでもわけなくできるものである。誤って大《たい》そうに考えるようなことがあっては馬鹿を見る。まず普通のお粥《かゆ》を拵《こしら》える。できたお粥の中に水を切ったかきのむき身を入れ、五分ぐらいたって、火からおろし、せりがあれば微塵《みじん》に切って振りかければ、それでかき雑炊は完成したわけである。茶碗に取れば、かきのよい香りとせりの香りが、いかにも快い。色調もよい。そのまま塩をふりかけ、かきまぜて食べるのもよく、そば出し汁程度のつゆをかけて食べるのもよい。また、単に醤油《しょうゆ》をおとして食べてもよい。
焼きのりはかきとよく出合う。あらくもんでふりかけて食べると、さらに充分を尽した味といえよう。かきの分量は、だいたい粥の四分の一くらいでよく、せりは粥の十分の一くらいもふりかければよろしい。煮え加減について、もう一度繰り返せば、かき雑炊の粥は、サッと煮えたアッサリした粥が、かきの風味とよく合う。かきは煮過ぎないこと、せりは火からおろしてふりまぜること。その程度の煮加減を選ぶがよく、とにかく、熱いのを吹き吹き食う妙味は、初春の楽しみの一つである。
納豆雑炊《なっとうぞうすい》
納豆が嫌いとあっては話にならないが、納豆好きだとすれば、こんなに簡単に、こんなに調子の高い、こんなに廉価《れんか》な雑炊はないといったくらいのものである。これも前と同じく、お粥《かゆ》を拵《こしら》えて、粥の量の四分の一か五分の一の納豆を加え、五分もしたら火からおろせばよい。納豆はそのまま混ぜてもよいが、普通に納豆を食べる場合と同じように、醤油《しょうゆ》、辛子《からし》、ねぎの薬味《やくみ》切を加えて、充分|粘《ねば》るまでかき混ぜたものを入れるとよい。雑炊の上から煎茶《せんちゃ》のうまいのをかけて食べるのもよい。通人《つうじん》の仕事である。水戸《みと》方面の小粒納豆があれば、さらに申し分ないが、普通の納豆でも結構いただけることを、私は太鼓判《たいこばん》を捺《お》して保証する。
餅《もち》雑炊
餅の雑炊は、正月の餅のかけら、鏡餅のかけらなどを適宜《てきぎ》に入れてお粥を煮ることである。出来たお粥に焼いた餅を入れてもよい。粥と餅とのなじみがおいしい雑炊なのである。
塩加減で食べてもうまく、そば出し汁程度の出汁《だし》、あるいは味噌汁《みそしる》をかけて食べるのもよい。これに納豆を加えると、さらにうまい。焼きのり、炒《い》りごま、七味《しちみ》、薬味ねぎなどを、好みに応じて加えれば申し分なしといえる。
猪肉《いのしし》雑炊
これもまずお粥を拵えることである。いのししの肉は牛肉や鶏のように大《たい》してうまい味があるというものではないから、白色の脂身《あぶらみ》が入用《いりよう》である。白い脂身と赤い肉と混ざったものを細かに切り、皮山椒《かわざんしょう》を少々加えて、別の鍋《なべ》に淡泊な味付けで汁たくさんに煮る。これに生《なま》の薬味ねぎを加えてお粥と混ぜ合わせ、すぐに食べることである。混ぜ合わせて、再び煮返えすと、その味はあくどくなる。いのしし肉の分量は、粥の六分の一ほどでよい。だいこんを千切りにしたものを、いのしし肉といっしょに煮て加えることは、だいこんなしから見れば上々吉、しいたけをきざみ込むのもよい。
そのかわり、夜食にこれで満腹すると、その夜は暖まり過ぎて寝られない。このこと御用心、御用心。しか肉雑炊も同断、
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