どうして読む人に分ると思えるものかって、いつもいってやるのさ。
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良寛《りょうかん》が否認する料理屋の料理とか、書家の書歌|詠《よ》みの歌の意は、小生《しょうせい》、双手《もろて》を挙げて同感するが、世人は一向反省の色を見せない。世人の多くは真剣にものを考えないとしか考えられない。
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それにはそれの訳がある。もともと料理には無理がある。
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貧しき人々が貧しき人々の好みの料理をする。これはマッチしていて苦情はない。
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貧しき人々が富める人々の食事に手を出すでは、うまくマッチしない。
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貧しき人々と富める人々の中間に在る人々の料理は、まず貧しき人々の手になるであろうが辛抱《しんぼう》の出来るところ、出来なくてもしようはない。
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富める人はなんとしても貧しき人々の手で出来た料理を口にする以外に道はない。貴婦人は台所で立ち働く習慣がないからだ。
明治の元勲《げんくん》井上侯のように、あるいはアイゼンハウワーのように、来賓《らいひん》に供する料理は必ず自分でつくる、あるいは監督もする、献立《こんだて》はもちろん。こんなふうな人が多々あると、貴族は貴族同士、富豪《ふごう》は富豪同士で楽しめるわけだが、いずれの国にあっても、そうなってはいない。こうなると貧しき人々が、貧しき人々の好む料理をつくることが一番幸福であるようだ。
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野菜は新鮮でなければならぬ。八百屋《やおや》に干枯《ひから》びて積んであるものを買わず、足まめに近くに百姓家《ひゃくしょうや》があれば自分で買いに行くがいい。かえって安価につくかも知れない。
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台所のバケツにほうれん草を二日もつけておく人がある。ほうれん草は、台所用いけばなにあらず。
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砥石《といし》は庖丁《ほうちょう》に刃をつける時に使え。使用後の手入れをちょっと怠《なま》けると、すぐに庖丁はさびのきものをきてしまう。たまねぎも、きものを脱がして食べるのだから、庖丁も、きものを着たまま使うな。
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さかなを焼く時は……、
さかなというやつは、おもしろいものだ。じっと目を放さずに見つめていると、なかなか焼けない。それなのに、ちょっとよそ見をすると、急いで焦《こ》げたがる。
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人間は目をつけていると、急いで用事をするが、目をはなすと、さっそく怠けている。
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どうしても料理を美味《おい》しくつくれない人種がある。私はその人種を知っている。その名を不精者《ぶしょうもの》という。
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餅《もち》の中にも食べられぬ餅がある。やきもち、しりもち、提灯《ちょうちん》もち、とりもち。
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煮ても焼いても食えぬというしろもの[#「しろもの」に傍点]がある。せっかくの材料を煮たり焼いたりしたために、かえって食えなくしてしまう人もいる。お化粧したために、せっかくの美人がお化けになってしまうことだってある。
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ラジオで料理講習しているのをときどき聞いている。まさか豚や犬に食わす料理の講習ではあるまいな。豚や犬に食わせるようなものを配給したりするから、そこでラジオも、豚や犬に食わす料理を放送せねばならなくなるらしい。これは辛抱《しんぼう》料理ばかりだ。そして今に、優生学の講習の後で、おそらく種男を募集するつもりだろう。
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客になって料理を出されたら、よろこんでさっそくいただくがよろしい。遠慮しているうちに、もてなした人の心も、料理も冷《さ》めて、不味《まず》くなったものを食わねばならぬ。しかも、遠慮した奴《やつ》にかぎって、食べ出せばたいがい大食いである。
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腹が空《へ》ってもひもじゅうない、というようなものには食わせなくてもよい。
腹がいっぱいでもまだ食いたい、というようなやつにも食わせなくてもよい。
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食事の時間がきたら食事をするという人がある。食事の時間だから食べるのではなく、腹が空ったから食べるのでなければ、美味《おい》しくはない。美味しいと思わぬものは、栄養にはならぬ。美味しいものは必ず栄養になる。
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心配するな、舌のあるうちは飢えぬ。
だが、女と胃袋には気をつけよ。
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腹が空っては戦《いく》さが出来ぬ。戦さをしなくなった日本に、腹が空ることだけを残してくれたのは悲劇だろうか。そんなら、なにを食べても美味しくはないという金持の生活は喜劇か。悲劇は希望を求め、喜劇は希望を忘れている。
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一に加える一は二なり。万歳《まんざい》は一加える一は三。万歳は二人でしゃべる。二人でしゃべるから一人でしゃべる時の二倍のボリュームがあるかというと、さにあらず、そ
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