と思ったからである。
 とにかく、ひと口にまぐろといっても、こうなると、なかなか最上はおいそれと口にのぼらぬわけである。食う方を語らずに、うかうか脱線して、どうでもよいことをくどくどしゃべりすぎた。これから食う方の経験を一、二述べてみよう。
 まぐろ通《つう》から存外《ぞんがい》等閑《とうかん》に付されているものは、大根おろしである。
「この大根おろしはいけないや、もっと生きのよい大根をおろしてくれないかなあ」
 というような方は滅多《めった》にない。わさびのことは、色・辛《から》さ・甘さ・ねばりなどをやかましくいう食通はあるが、大根おろしの苦情を聴くことは、ほとんどない。ところが、まぐろとか、てんぷらというものは、おろしのよしあしで、ずいぶん風味に大《だい》なる影響があるものである。てんぷらなどは畑から抜きたての大根のおろしがあれば、油の少しわるいくらいは苦にならぬものである。抜きたての大根で、辛味《からみ》が適当であれば、まぐろなどはわさびの必要がないくらいである。大根がわるいからわさびが入用《いりよう》だが、元来、わさびはまぐろに好適というものではない。おろしさえよければ、わさびはなくもがなである。
 握《にぎ》りずしのように、まったくおろしを用いない場合は、ぜひともわさびは必要であることは論を俟《ま》たない。故《ゆえ》にまぐろのすしは、涙がぼろぼろこぼれるほど、さびの利《き》いたのをすし食いは賞美する。ところが羊羹《ようかん》のような赤身は脂肪分が少ないからさびが利くが、中脂肪以上、トロなんという脂肪のきついところになると、さびの辛味は脂肪で跳ね飛ばされて一向に辛くない。屋台店などに立つすし食いは、「さびを利かしてくんな」と馬力《ばりき》をかけるが、すし屋の方では、まぐろの安いときは、さびの方が高くつく場合があるから、こんな連中ばかりやってきてはやりきれないが、「さびなしで……」なんという衛生的|食道楽《くいどうらく》もあるから、埋め合わせはつくというものである。
 しかし、まぐろはちょっと臭《くさ》い癖のあるものであるから、この場合も、ぜひしょうがの酢漬けだけ添えて、いっしょに食べたいものである。私の食い方なぞは、さびの利いた上に、しょうが二、三片ぐらいをすしの上に載せてやる。すしは酒の肴《さかな》としてずいぶん用いられているが、どうもまぐろは酒の肴として好適ではない。これは飯《めし》のものである。だから、握りずしで食うのが第一、熱飯《あつめし》の上に載せて食うのが第二である。まぐろの茶漬けなぞも通人《つうじん》のよろこぶものである。(まぐろの茶漬けというものは、炊《た》きたての御飯の上に、まぐろを二切れ三切れ、おろし少々載せて、醤油《しょうゆ》をかけ、その上から煎茶《せんちゃ》の濃い熱いのを注《そそ》いで食うのである)事実、東京において消耗されるまぐろの七分通りは、すしの原料とされているようである。
 元来、東京の自慢であるたべものは、概して酒には適さない。すし、てんぷら、そば、うなぎ、おでん、いずれも酒の肴としては落第だ。おでんで飲む向きもあるが、これは他に適当な酒肴《しゅこう》がない場合だ。まぐろの消費量の七分はすしに使うといったが、もちろんそれは夏過ぎて涼風《りょうふう》が立ち、だんだん冬に向かうようになってからのことであって、夏のしびまぐろは、たいてい切り身となって魚屋の店頭を賑《にぎ》わすのである。魚河岸《うおがし》における一日約一千尾の大まぐろは、大部分が焼き魚、煮魚として夏場《なつば》のそうざいとなるのである。もっとも冬場《ふゆば》でも、まぐろの腹部の肉、俗に砂摺《すなず》りというところが脂身《あぶらみ》であるゆえに、木目《もくめ》のような皮の部分が噛《か》み切れない筋《すじ》となるから、この部分は細切りして、「ねぎま」というなべものにして、寒い時分《じぶん》、東京人のよろこぶものである。すなわち、ねぎとまぐろの脂肪とをいっしょにして、すき焼きのように煮て食うのである。年寄りは、くどい料理としてよろこばぬが、血気《けっき》壮《さか》んな者には美味《うま》いものである。
 聞くところによると、いわゆる朝帰りに、昔なら土堤八丁《どてはっちょう》とか、浅草田圃《あさくさたんぼ》などというところで朝餉《あさげ》に熱燗《あつかん》でねぎまとくると、その美味さ加減はいい知れぬものがあって、一時に元気回復の栄養効果を上げるそうである。また脇道に逸《そ》れたが、男の美味いとするまぐろの刺身《さしみ》の上乗《じょうじょう》なものは、牛肉のヒレ、霜降《しもふ》りに当たるようなもので、一尾の中、そうたくさんあるものではない。胴回りでいえば、砂摺りと背に至る中間、身長でいえば、頭の付け根より腹部の終わりぐらいまでのところを中
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