ゃないかといって、それが贅沢だというんだ。今から考えてみりゃ余計なことだが、当時はそういうことをいった。そこで僕は、これは実は嘘だったが、なるほどギヤマンは贅沢かも知れないが、これは僕の家に昔からあるもんで、他の容れ物がないからこれを使っているんです、と抗弁した。実は、そのギヤマンというのはなけなしの小遣いをためて、当時の身分としては不相応の金を出して買ったんだから、このいいわけはインチキなんだけど、これで課長もなんともいえなかった。
要するに物を食うには、なければないでどこか風流だったんだろうね。豆腐を食って贅沢だといわれたのは、おそらく僕ぐらいのものだろう。
風流といえば、当時の風流人に岡本可亭があった。これは岡本一平のお父さんであるが、当時僕はこのひとに連れられて、入谷の朝顔、団子坂の菊などを見に行った。朝顔などはすでに京都の方がずっとすぐれていたから、京都の朝顔を知っていた僕にとっては入谷の朝顔など至極つまらないものであったが、当時のいわゆる風流人はそういうところへ行っては、帰りに根岸の「笹乃雪」へ寄って来たりするのであった。僕が若いに似ず風流を解するというので連れて行かれ
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