なかいかないのです。
私ども内輪《うちわ》でいくらやかましくいっていても、料理人たちは上《うわ》の空でだめですから、こういう機会に、本気で聞かせようと思っているのであります。それで、みなさんに聞いていただきながら、いっしょに料理人にも聞かせるので、こういう機会に、みなさんを利用するようなわけでもあります。
私どもはよくこういうことを聞かれます。何歳の子どもには、どんな食べ物がよくて、どうした料理がいいでしょうかと。そのようなことは、ごく平凡な料理の話で、私どもは申し上げません。私の申しますのは、このだいこんとだいこんはどうだとか、この水と水とは、このなにとなにとは、どちらが良いか悪いかという機微《きび》に触れること。のりにしましても、どういうのりがもっともよいかという比較|詮議《せんぎ》をする。そういうお話をいたしますので、例えば、一流の料理屋の刺身《さしみ》の醤油《しょうゆ》にしても、一々違いますが、それが区分けが出来るように、こんなことはどうも僭越《せんえつ》ですが、いわゆる食道楽《くいどうらく》の立場から、ぜいたくといえば、ぜいたくといえる最高の嗜好的、食べ物のお話をいたそう
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