ふつうの家庭では、なにかの時だけ、儀式的なことに、無闇《むやみ》と飾りたてたりしながら、平常はぞんざいにものごとを扱っている弊風《へいふう》があるのを、私はどうもおもしろく思わない。美的生活をなそうとするには、特別な時だけでは駄目《だめ》である。いつでも、どんなものにも、美を生み出す心掛けを忘れてはならない。
私の考えていることは、日常生活の美化である。日々の家庭料理をいかに美しくしていくかということである。材料に気を配るとともに、材料を取扱う際の盛り方からまず気をつけて、いかにすべきかと工夫するのだ。工夫は細工ではない。工夫とは自然にもっとも接近することだ。なべ料理の材料の盛り方ひとつでも、心掛け次第で、屑物《くずもの》の寄せ集めに見えたり、見る目に快感を与え、美術品に類する美しいものに見えたりする。そういう区別が生ずるのである。
盛り方を工夫し、手際《てぎわ》のよいものにしたいと思う時、当然そこに、食器に対しての関心が湧《わ》いてくる。すなわち、陶器にも漆器《しっき》にも目が開けてくるという次第になるのである。
底本:「魯山人の食卓」グルメ文庫、角川春樹事務所
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