ろがなかったが、次のKなる陶人は身も心も軽く前山邸に轆轤を運んだ。それからというもの、この陶人と前山翁の角力《すもう》は勝負ありともまたなしともつかず、両人相対していろいろ複雑な辛抱の日が相互今につづいているあり様だ。
 うるさいことをスッパ抜く奴と思われることを必定として、ここにもう一ぺん念のため語らざるを得ないのはなんとしても翁の驚くべき勘違いである。なるほど、前山さんは茶道に縁あって以来というもの中国陶磁に朝鮮陶器に日本ものに、ありとあらゆる名器を幾度となく、繰り返して玩味《がんみ》せられたであろう。しかしてわれわれいわゆる素人が製陶に手を出した場面を目前に見られてはヨシ俺もという気になって事業家として成功せし自信を……聡明を……製陶の上にも盛り切れるものとして、扼腕《やくわん》し、たちまちのうちに志野も黄瀬戸もたちどころに再生させてみんと心をいら立てられたに違いない。
 聡明そのもののような趣味人たる諸氏がなぜかくも揃って軽挙されるのであろう。そうして不甲斐なくも悉《ことごと》く失敗の跡を遺して苦笑されるのはなんであろう。いやしくも男子一度志を立てた仕事である以上そうやすやすと瞬時の中《うち》に、事、志と違うようでは遺憾ではないか。諸氏はなにが故にかくも揃って苦い経験を作陶の上に舐《な》められるのであろう。
 私にいわしむるならば、それは別段とくに不思議な因縁があったわけではない。思いもよらざる事柄が飛び出して挫折《ざせつ》したわけでもないのだ。つまりは諸氏の望みと諸氏の用意との間に齟齬《そご》があったのである。諸氏はいよいよ作陶に取りかかるというその日までにどれだけの用意があったであろう。作陶上に必要な教養をなにほど修めておいたか、またどれくらいの作陶経験を有していたか、私は率直にいってみるが「諸氏はおそらくなんの用意もまったくなかったのではないか」と、この点については諸氏の固有する才能そのものが自己を打つところの、持った棒となりおわったのではないか。
 焼物師には出来ないが俺が俺の家で指導したら、工夫したら、聡明な考え方をもってしたら、染付、赤絵、九谷、瀬戸、唐津、朝鮮、中国、なにほどのことやあらん。俺だ……俺だ……俺の頭だ、俺の知識だ、俺は鬼だ、金棒さえ振りゃなんだって出来得ないことがあるか、金棒というのは焼物師のことだ、焼物師、俺につけ……こんなふう
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