諸家の素人窯から優秀なる名陶が生まれ出でようはずのないことは別段ここに氷炭冷熱をいわずともみずから明らかではないか。それはいうまでもなく当たるに足るしかるべき作家を各自が有さないからである。名作はいかような場合にも天から雨のように降るものではない。誰かが製作するところのものである。ここにおいて作家なくして名品の製出を夢見る各家はいかなる常識をもって起案し、いかなる算用をもって結果を望んでいられるか私は実にこればかりはただただ不思議に堪えないで困っている。
 私は先にもいったことであるが、おそらく各家は自己の指導力によって往古に見るがごとき名作を成し得られると大雑把に考えられたことと察せざるを得ないが、もし果たしてしかりとするならば、これを画の製作に考えを移して、各自の指導力が雲舟、牧谿でなくても三楽を生むか元信《もとのぶ》を生むか桃山芸術を生むかを反省されたい。私は優れたる芸術、優れたる美術は小さな一人の指導力で生まれるものではないことを断言する。況や個性ある芸術をや。
 前山翁はまったく罪のないことをいう人で、窯の仕事などというものは自己の経験からいうとき、一代二代の研究で出来るものではないと、まるで科学の発明でもあるかのように譬えて、自窯の不成功を闇《あん》に仄《ほの》めかされたが、これはテレ隠しというものであろうではないか。
 翁は志野の釉《うわぐすり》が意のごとくゆかない、志野の火色が出ない、黄瀬戸が思うように発色しない。これが成功を見るまでに進めることは一代や二代の研究でゆくものではないと考えられたに違いないと察せられるが、翁が一人や二人の工人を相手《あいて》に、僅々《きんきん》二年三年の片手間にも足らざる研究でこれを率直に発言させるのは、あまりにも罪がなさすぎるのではないか。
 況や、名人に二代なしは昔から伝うるところである。光悦の後に光悦なくのんこうの後にのんこうはない。のんこうの先にものんこうはない。仁清の先にも仁清なく、仁清の後にも仁清はない。翁が苦心? の志野もまた志野以前に志野はないのである。初期志野時代以後にも志野はないのである。前山氏が僅々二、三年の経験をもって、その不如意を弁ずるに当たって一代二代の研究のよくするところでないなどと公言されるのは、私はあまりにも罪がなさ過ぎるとするものである。実業家としての前山翁は一部に俊敏の聞こえ高い名士
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