に帰って行った。
 玄関であっても玄関でないような玄関もある。さっきの客も、入り口だか、便所だか、靴脱ぎだか、物置だか分らぬような玄関を作ったのかもしれない。そうでなかったら、あんなこねまわした質問をするはずがない。さっきの客も、また、その客を訪ねて行く客も、間違わぬようにと思って、わたしは親切に玄関と書いてあげた。
 樹木でも、日陰に植えて育つものを、日向《ひなた》に植えたり、砂地を好む木を赤土に植えたりしては可哀そうである。それと同じように、料理も、焼けばいちばんおいしいものを、煮てみたり、刺身にすればいい持ち味のものを焼いたりしてはいないだろうか。わたしは先ほど客に、食うために作ることだ、と返事をしたが、食うためにということは、馬や牛が食うためではないはずだ。手のこみ入ったものほどいい料理だと思ってはいないか。高価なものほど、上等だと思っていないか。わたしのいいたいことは、たくさんある。わたしの話すことは、それこそほんの料理の玄関にすぎないかもしれない。だが、諸君、先生を訪《おとな》うなら、堂々と玄関より訪れたまえ。そして、無事に玄関を通してもらえたら、すなわち諸君の足で廊下を通
前へ 次へ
全4ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北大路 魯山人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング