はないように思われます。東京の市場もののように、まる一日も経過しますと非常に変質してうまくなくなります。だいこんおろし等も、畑からすぐ採ってしますと、たまらなくおいしく、かつおぶしなどはいりません。かえって邪魔になります。それが半日もおくと、なんとか味の添え物をつけないと、とてもまずくて食べられません。実に野菜ばかりは、どうしても早く処置してもらいたいものです。そして新鮮なものは、新鮮なもののように、さっと煮て、他に少し濃く塩気をつけて、中はだしを浸《し》まさないでそのものの持ち味と香気とが充分に出されるようでなければいけません。野菜から香気を失うということは、料理ではまったく価値がないので、新鮮なものは、火が中まで通っていればいいので煮過ぎは禁物であります。
古いものになりますと、中まで味をつけて、単にそれそのものの触覚だけで我慢する。例えば芝居の弁当に見るたけのこのようなものです。結局、適当に頭をはたらかせることが必要です。
わたしなどから見ますと、料理屋の料理は、形式的にはまずととのっておりますが、どうしても商売として繁盛せねばならない条件があるのでお客の意見を聞き、それに迎
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