ているひとはまずありません。刃の切れないのや、はなはだしいのになっては小刀等で削っているのがあります。それで理想的なだしの出ようがありません。しかも、不経済で一円のかつおぶしで五十銭くらいにしか働かないことになります。
 なにはともあれ、かつおぶしの削り方も、昆布だしのとり方も知らないようでは、通のような顔をしていても通にはなりません。
 それから料理をすることになりますと、料理は皆様が着ていらっしゃる衣服のようによそ行きの料理とふだん着の料理とがあります。またその中でも同じよそ行きがお客様の種類によって違うことになります。よそ行きにもいろいろあるが、ふだん着にもいろいろあります。趣味を持っているふだん着もあれば、味のない実用だけのふだん着もあります。よそ行きもまたそうであります。持ち味で行こうとするのと、ただの形式的のと二通りあるということを、いつも心得ていて、しかも、その上、春夏秋冬と異なるのでありますから、それもまた考えねばならぬことであります。だいこんおろし一つするにも、それはいろいろと違うのであります。
 つまり、料理は機宜の処置が大切であります。あくせくして疲れて腹をへらし
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