したことでは満足出来ないと見えまして、自分自身で台所をやられたそうです。そのため、井上侯を今日より考えてみると、まったく余人に求められない人間味があるように思えます。そこに人間としてのおもしろさが閃《ひら》めいているように思えて、なにかいい感じがし、親しみを感じます。
その点で料理を心がけるようなひとは、どうしても料理を好きにならなければならない。第一好きでないと長つづきしない。好きでなければ面倒くさくなり、おもしろくなくなって結局仕事が付焼刃になります。要するにうまい料理は出来ないことになります。
それには料理上の概念を修めないと、先刻申したように、うかうかでたらめばかりすることになって、見るひとが見ると、なにかインチキになり、つまらないものになります。
それについても実習の必要があります。まず、実習は思わぬ興味をそそって概念も出来る。つまり、実習と概念知識の両方が伴わなければならぬということになる。
根本になるというのは、理論が勝つのでありますが、現実的にはいうまでもなく、原料をよく知らないと料理がうまくゆかないものです。
原料の大事とは、原料の持ち味や特質をよく知ることです。天質の持ち味を大切に取り扱うことです。魚にしても、だし昆布とかまたはかつおぶしとかにしても、それらの所有するすべての味は、人造では絶対に出来ませんところの尊いものを持っているのですから、おのおの持ち味を殺さないようにするのが、もっとも肝要な点かと存じます。同じだいこんでも、今しも畑から抜いて来たものは新鮮を失わないように、古くてしなびているものは、それはそれとしてしかるべく処理しなければなりません。この新古材料を、両方同じように処理してはいけないのであります。原料を生かすのも殺すのも、そこにあるのです。
それにつけても、まず、品物の鑑定が必要であります。すべて品物は素直に見てから買わねばなりません。同じものでも実物を見てから選択しますと、同じ値段で幾層倍もいいものを買うことが出来ます。
調味料もまた鑑定の必要があります。ただかつおぶし何匁とか、昆布何枚とかいうのではわかりません。どうしたかつおぶしで、どうした昆布で、どうしたところに用うるかということにならないと、うまくはなれないのであります。
わたしどもの知っているかぎりにおいての家庭では、かつおぶしを削る鉋のよいのを持っ
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