代の作品と申しますとみなさん御承知の文芸の生まれている時代でありますから、なにかにつけこれは鎌倉時代とよくいうように、工芸あるいは絵画としてなかなか尊重に足るものが生まれているのであります。御承知の通りに兼好法師にいわせますと、あの時すでに来世になっておりますが、今から考えますと兼好法師の末世はとても尊い時代であります。それで日本でいえば鎌倉時代に青磁が生まれている。今日京都あたりで出来ますあるいは御承知の蘇山の青磁だとかいうのはなにを当てにそんなものを作るかと申しますと、中国の宋時代に出来た青磁を手本として作るのであります。碪《きぬた》青磁なんといっておりますのはすなわちそれであります。それで青磁というものが宋の時代、日本の鎌倉時代に出来ておりますために、今から考えますと想像も出来ないような巧みな方法で、またそれだけ調子の高いものが出来ております。それでまた色がどのなに色に比べましても陶磁器の中では一番上品な色を持っている。いかにも日本人は上品なものが好きだと見えまして、上品なものを非常に尊ぶ癖がある。中国ではむしろ均窯という方を尊ぶようでありますが、それで文献によりますと、雨過天晴というのがあります。青磁のことをその色を形容いたしまして雨過天晴という。それは雨が止んでしまって青空に晴れた色をしている。ところがこれは均窯の方をいっているのか、青磁の方をいっているのかはっきりいえないのでありますが、中国人にいわせますれば、それは均窯だという。日本人の感じでいうと、雨過天晴というのは青磁だ。こういっております。それは感じでありますからどちらでもよろしいのでありますが、その色もさることながら、その作行《さくゆき》が非常によいのであります。今日一つの刀剣を見ましても、ああいう鎧《よろい》のようなものを見ましても、また仏像を見ましても、鎌倉時代というものはとにかく尊いものであります。中国の宋時代の陶器に鉅鹿《きょろく》なんというものが生まれているのでありますから、作行としてもっとも尊いものが生まれた時であります。その時から青磁が香炉なら香炉、花生《はないけ》なら花生というものが実に立派に出来ております。内容も相当によい、色もよい、そこで青磁の御承知の袴腰《はかまごし》のこういう香炉がありますが、そういうようなものは今日五万、十万、二十万という値をしておりますが、これがどういう場合に使えるかと申しますと、絵でいえば最高なもの、もうこれ以上よい絵はない、これ以上の装飾は日本装飾としてはもうないという位に装飾が施されました時に、その床の間の、卓の名だたる黒文字の卓がありますが、この卓の上に載る香炉というものは青磁の他にはなんにもないものであります。それで一番よいものを一番調子の高い室内装飾として並べた時に、その香炉はなんの香炉が一番適するかというと、青磁の香炉でなければ納まらない。それは物の分った時で、分らなければこの方がおもしろいとかいう一部的の香炉もたくさんありましょうが、よく物が分りますと、鑑賞が行き届き、物の調和ということがよく分りましたら、青磁をぽんと床の間におかないと納まりがつかない。青磁は実に品がよく、近寄って見ると作がよろしい、全体が納まってしまう。他のものではどうしても納まりがつかぬそういう意味におきまして、だんだんと金が出来て、だんだんと立派な家が出来て、立派な道具が家に殖えてきまして、貴人を招待でも致しました時には床の間に青磁の香炉がどうしても要るようになってしまう。そこで相当高くても青磁が欲しいというようなことになる。こういうような関係で青磁の香炉というものは陶磁器の中で一番値段が高いということになっております。それは自分で実験してみるとそのことがよく分るのであります。なるほど他のものを持っていってもどうしても納まりがつかないことがよく分る。
ですからその次に古陶磁の高いのは茶碗でありますが、御承知の抹茶茶碗でありますが、これは茶の会を致しました時に一番晴れがましいものであります。次にさらに晴れがましいのはなにかと申しますと床の間の掛け物であります。どれもこれも晴れがましいのでありますが、とりわけ主役を致しますものは床の掛け物であり、飲ますところの茶碗である。その茶碗が美術的価値を多く有するということは、その茶会をもっとも効果あらしめることになるのでありまして、自然よい茶碗が欲しいことになります。その茶碗も一つ二つを見ておりますとこれもよいな、これもよいなということになりますが、さてここにこれが一万円、これが三万円、これが十万円と区切りして並べるということになりますと甲乙がよく分るのであります。これはみなさんが、失礼なお話をするようでありますが、靴を一足お買いになりましても、ネクタイをお買いになりましても、一円のネクタイは一円のネクタイ、三円のネクタイは三円のネクタイの美量的値打ちがある。これは一遍自分が験《ため》してみると分ります。シャツでも三円のシャツを買って暖かいと思っても、今度十円のやつを買うとまたそれだけよい。それが五十円のもの、八十円のものとなって、ついに本当の駱駝《らくだ》のシャツが一番よいということになる。全く体験すると一番よく分る。茶碗もその通りであります。そこで金持ちでありますがやはり、金を尊ぶ人程かえってわれわれ貧乏人から見て金を大事にする人が多いのでありますが、その金を尊ぶ金持ちなる者なかなかたやすく五万も十万もの金を出すものではありませぬが、それにかかわらず土で出来たところの茶碗に莫大《ばくだい》な金を出すのであります。これは相当美術を認識しているところからであります。直接目で認識しているもの、常識的に世間なみに認識しているもの、盲目的に有頂点になり人におだてられて買う者などいろいろあります。が結局は古陶磁の値段の高いということは美術品としての価値が高いのだと認めているのであります。値段の一番高いものは最高美術に値することだと思われているのであります。
それでこの古陶磁の中にもいろいろの産地があります。中国があり、朝鮮があり、日本があります。今日は必ずしも自分のことを宣伝するわけではありませぬが、話をしますとまったくこういう方面で日本製陶がこの頃深く認識されまして、日本陶器のよさということが漸次識者にだんだんと分りつつあるようであります。私どもの経験によりますと、最後は日本で生まれた陶器が一番よいということになります。書の研究も多少私に覚えがあるのでありますが、これもやはり日本の書が一番よいということになります。絵もまた日本の絵が一番よいということになる。建造物もまたそうであります。日本に存在しておりますような、歴史に残っておりますような建造物は中国にも、朝鮮にも決して存在してはおりませぬ。それから古来もともとやかましくいわれておりますが能書はやはり弘法大師であり、道風であり、逸勢《はやなり》であり、あるいは嵯峨天皇のごとき、あるいはずっと降《くだ》りまして三藐院《さんみゃくいん》、近衛公。徳川時代になって物徂徠《ぶつそらい》、あるいは良寛禅師とか、それからもっともよい字を書いたのは大徳寺の高僧たちであります。こういうようなよい字は中国には見られない、中国の字というのはそれは体裁ばかりがよいのであります。技巧的でありまして、形がよく、書にもし約束というものがありと致しますれば、その書の約束通りに行き届いた書が書けている。故にまあ知らないというのは失礼ですが、知らない人間から見た時に中国の書が大変立派に見えるが、知る者からは内容価値がちっともない。ちょうど立派な風采だけをつけたようなもので、容貌風采、出立《いでだち》がよいのであります。その出立に日本人は眩惑《げんわく》されております。それでありますから内容を見ない人間から見ますと非常によく見えるのであります。例えば羽織袴で立派な風采をしている人があっても、それが必ずしも立派な人間でない場合があります。中国の書はインチキではありませぬが、大体容貌風采がよいだけであります。内容価値が少ない、書の尊いということはやはり美術的人格価値が尊いのでありまして、よい書になればなるほど美術的人格価値があるのであります。絵におきましてもいうまでもない。彫刻におきましてもいうまでもない。いずれも美術的人格価値が高い場合においてその名が高いのであります。古陶磁がやはりそれと同じでありまして、値段の高い陶器は美術的価値が高い。それは職工的な場合でありましても、芸術的な場合でありましてもどちらでも同じであります。けれどもどちらかといえば芸術的の場合が高いのであります。それを絵で申しますれば、応挙の絵も実は職工的の方に大分足をかけている。半面は芸術的に足がかかっている。狙仙《そせん》の作のごときはもう職工的が大部分でありまして、芸術的にはわずかに触れているに過ぎないというようにいってもよいのであります。それらはだんだん日が経ちますにつけ篩にかけられて正当な芸術価値を評価されると思うのであります。また昔一国一城に代わる茶碗があったような話が遺《のこ》っていますが、あれは政治的にいろいろのかけ引きと行きがかりがあったと思いますが、今日さしずめ陶器価値の話となりますと一万円は一万円、二万円は二万円、あるいは千円は千円というようにその値を左右する根本義は芸術的であるか、職工的であるか、美術的価値がどれだけ多いか、少ないかというような検討に左右される結果と私は見ているようであります。私の体験の事実はそうなっております。そういうふうに考えまして私は一個の陶器も書画彫刻と同様一つの美術品と見ております。また私が多少でも製陶いたしますところから、それら古陶磁を一つの教科書としております。この意味で集めたものが今度展覧会に出しましたものであります。それをなぜ売るのかといえば、これはもう大分刺激がなくなったからであります。十年も持っておりますと、どんな尊いものでもだんだん刺激がなくなってくる。悪くいえば鼻についたのであります。よくいえば骨にも肉にも浸み込んだというようなものであります。そこでこれを一旦また他の好者《すきもの》に頒《わか》ちまして、そうして新しい刺激を得るような古陶器を再び取り入れようというのが今度展観する私の目的であります。それは一面からいいますと、ずるいというようなことになるかも知れませぬが、しかし考え方によりましては、私が陶製をだんだん進めます上において他によい方法がないのであります。私が岩崎、三井でなくても少し豊かな人間でおりますと、こんなけちなことをしないでもよいのでありますが、やむをえませぬ状態から、お店に御厄介になって目的に進むというような企てを考えたのであります。
底本:「魯山人の美食手帖」グルメ文庫、角川春樹事務所
2008(平成20)年4月18日第1刷発行
底本の親本:「魯山人著作集」五月書房
1993(平成5)年発行
初出:「星岡」
1934(昭和9)年
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年12月4日作成
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