京都のごりの茶漬け
北大路魯山人
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)加茂《かも》
−−
京都のごりは加茂《かも》川に多くいたが、今はよほど上流にさかのぼらないといないようである。桂《かつら》川では今でもたくさん獲れる。ごりは浅瀬《あさせ》の美しい、水の流れる河原に棲息《せいそく》する身長一寸ばかりの小ざかなである。
ごりといっても分らない人は、はぜのような形のさかなと思えばいい。腹に鰭《ひれ》でできたような吸盤《きゅうばん》がついていて、早瀬《はやせ》に流されぬよう河底の石に吸いついている。
ごりには大小さまざまの種類があるが、ここに登場するごりは小さなごりで、一寸以上に大きくならぬようである。それが証拠に、小さなくせに卵を持っている。身は短小なれど非常に美味いさかなである。
京都の川肴《かわざかな》料理では、赤だし(味噌汁《みそしる》)椀に、七尾入れることを通例としている。こんな小さなものを七尾入れて、立派な京名物が出来るのだから、その美味《うま》さが想像できるだろう。従って値段も高い。たくさん獲《と》れないからである。とても、佃煮《つくだに》なんかにして食べるほど獲れないのだ。にもかかわらず、佃煮にして食べようというのであるから、ごり茶漬《ちゃづ》けは天下一品のぜいたくといわれるのである。
今では、生きたのが一升二千円見当もするだろう。これを佃煮にすると、かさが減るから、ぜいたくにおいて随一の佃煮である。
ごりの佃煮とは要するに、高いごりを生醤油《きじょうゆ》で煮るのである。それを十尾ばかり熱飯《あつめし》の上に載せて、茶をかけて食べるのである。
昔からごりの茶潰けは有名なものだが、おそらく京都でも食べたことのある人は少ないであろう。京都以外の人では、名前も存在も知らぬ人が多いかも知れない。
食通《しょくつう》間では、ごりの茶漬けを茶漬けの王者と称して珍重《ちんちょう》している。しかし、食べてみようと思えば、大《たい》してぜいたくなものではない。なぜなら、高いといったところで、一椀十尾ばかりですむことであるから、金にすればなんでもない。ただ五尾か七尾で、名物吸いものにしているのを目前に見ているので、思い切って佃煮にする勇気がしぶるだけのことである。もったいないが先に立って、やっぱり味噌汁《みそしる》にして、平凡に食べてしまうようになる。
このごりは、どこの川にでもいるようだが、京都のは小さくて、粒が揃《そろ》っている。
篤志《とくし》の方は、京都に行かれた節にでも、料理屋に命じて、醤油で煮つめさせ、一つ試みられてはいかが。これさえ食べれば、一躍《いちやく》茶漬けの天下取りになれるわけである。
ついでに茶漬けとは別な話であるが、京都には「鷺《さぎ》知らず」という美味い小ざかながある。
底本:「魯山人の食卓」グルメ文庫、角川春樹事務所
2004(平成16)年10月18日第1刷発行
2008(平成20)年4月18日第5刷発行
底本の親本:「魯山人著作集」五月書房
1993(平成5)年発行
初出:「星岡」
1932(昭和7)年
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2010年1月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
終わり
全1ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
北大路 魯山人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング