を想像するとき、話半分の三十万円から概算しても、なおかつ、十万人分くらいにはなるはずである。これだけのものを商う料理屋、その他専門店等のふぐ料理からは一人の中毒者さえ出したことがないといってまた誇る。これはわたしは信じてやってよいとする者である。しかして、この危険なき実際状態を目撃し体験する者からは、もはや、常識上かりそめにもその不安に駆られてよい訳合いのものではないという結論が生まれるわけだ。
 ふぐを料理する法といっても実はそうむずかしいものではない。生きたるふぐを条件としてただ肉中骨中の血液を点滴残さず去ることのみの仕事と解してよい。だが、なんだといって軽々に取り扱う気になる蛮勇は止めて貰《もら》いたいが、それにはなにをおいてもまず下関、馬関、別府等、本場の専門的庖丁人によって作られたものを食うという常識を必要とする。
 死んだふぐを料理しては危険のある場合が多い。また素人料理にうかうか安心してはいけない。ふぐによって命を失ったという話の全部が全部、素人庖丁の無知が原因となっていることを銘記する必要がある。価の安い場合にも注意すべきだ。



底本:「魯山人の美食手帖」グルメ文庫
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