、こんなものが仏・伊にあるであろうか。これをじかに自分の目でテストし、吟味しに出かけるのである。わたしの渡欧の楽しみはこの一点にあるといいたい。欧米人が日本のように、刺身を食う習慣のない理由は、いうまでもなく、生《なま》で賞味できる魚がないからであろう。米人でさえ生のオイスターを自慢で食うところをみると、うまければ生でも食う証拠である。今に諸外国の人間が日本に来ることは、日本の刺身が食いたいためである、といわれるまでに至るであろうことが想像される。
 しかし、わたしがこういうことを考えていることが当たっているか、あるいはまったく誤っているか、今のところあまり偉そうにはいえない。それだけに楽しみがある。
 今からはっきりいっておいて間違いなしとするところは、美の点である。フランス、ルーブル美術館長ジョルジュ・サール氏も同じことをわたしにいっていたが、日本料理の目に訴えてくる美しさは絶対のもので、まことに美しい。食器の美しさ、盛り方のデザイン、居室の美しさは、世界無比といえよう。この点はとうてい欧米では窺えないというのである。料理文化の進歩を認める話しぶりであった。



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