を喜びに導くような美しさは望むべくもないようだ。
アメリカの人工料理、これはテストするまでもなさそうだが、ヨーロッパ料理は一応テストに価しよう。
今までの国外にのみ心酔する輩は、多く日本を知らない。体当たりの経験の乏しいために、日本の料理の神髄を知らない。スープはできても、みそ汁はできない。パンの良否は分っても、飯のうまさはわかっていない。これが今の日本人であろう。わたしは日本人に、日本の食べ物に目を開かせ、日本の持つよさを理解してもらいたい一念からヨーロッパに食行脚するのだともいえる。もとより欧米料理を正しく理解し、誤って買い被りのないよう、毛嫌いして本質を見失うことのないよう、わたしの口で直接テストしたところ、わたしの目で見たところをいずれは披露したいと思っている。
食べ物というものは、人間の体を作る餌であり、心にもひびき、おおらかにもなり、貧しさをも作る原動力として生きるからである。
日本料理の場合は、あり難いもので、材料は数知れないまでに豊富、その美味はいわゆる山海に満ちている。どう工夫しなくても、まず目が喜ぶ。鼻も口も楽しみきる。日本は食べ物に恵まれている。日本の魚介
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