一癖あるどじょう
北大路魯山人
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)美味《うま》くて
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)日本橋通一丁目|辺《あたり》
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どじょうなべ。美味《うま》くて、安くて、栄養価があって、親しみがあり、家庭でも容易にでき、万事文句なしのもの。ただし、貴族的ではない。これがどこへ行っても歓迎を受けているのは、もっともな話である。
なべものは一般に冬のものと決まっているところへ、こればかりは夏のものであることも、大方《おおかた》の興《きょう》を呼ぼう。東京では、どじょうなべというより「柳川《やながわ》」というほうが通りがいい。なぜ柳川という名称が生じたか。
古老の話によると、幕末のころ、日本橋通一丁目|辺《あたり》に「柳川屋」という店があり、ここでかつて見たこともない「どじょうなべ」なるものを食わした。幸いそれが当たって、江戸中の評判となり、いつとはなしに、どじょうなべのことを柳川というようになった。これが柳川《やながわ》の名称の起こりだという。そんなところから、通人《つうじん》は柳川で一杯などとシャレるに至ったものらしいということだ。
また、柳川は九州|柳川《やながわ》の換字ではないだろうか――というのもある。柳川は日本一の優良すっぽんの出るところ。一望千里の田野を縫う賽《さい》の目のような月水|濠《ぼり》は、すっぽんとともに優良などじょうを産する。ほかでは見られないまでに、持ち味すばらしく、かつ大量に産し、現に大阪市場にまで持ち込まれている。
いったいどじょうは癖《くせ》のあるもので、その癖に両面がある。その一面は、どじょうにとって、なくてはならぬ独特の持ち味であるが、他の一面は、下品な臭気を伴うことである。柳川のどじょうは、そのいやな面がまったくなく、まことに結構この上なしのものである。
すっぽんも、ふつうひと癖もふた癖もいやな癖のあるのを免《まぬか》れないものであるが、柳川産にはそれがない。このめずらしい特色は、今後ますます認識されて、いよいよ市価を高めてゆくであろう。
柳川どじょうの大もの、五寸ぐらいなのは、蒲焼《かばや》きに適し、うなぎとはぜんぜん異なった風格を有し、心うれしい気の起こるものである。どじょうにかぎって、小さいのを無理に蒲焼きにしても一向あり難《がた》くない。
どじょうの良否を見分けるには、まず卵に着眼し、卵の絶無のものを第一とし、以下なるべくこれの少ないものを選ぶべきである。卵の多いものは、肝心の肉付きが少ない。どじょう割《さ》きは、素人《しろうと》の手に負えぬものとなっているが、それは急所に錐《きり》が打ち込めないからで、その急所は目の付け根とおぼしいところの背骨にある。この個所《かしょ》に錐を打てば、どじょうは一遍に参ってしまう。
小どじょう、大どじょうともに味噌汁《みそしる》に丸ごと入れることが一番|美味《うま》いとされているが、十人中九人までは、丸ごとの姿を見ただけで、ぞっとしてしまうから、これはいかもの食い向きとしておくべきであろうか。四、五寸のものを丸ごと照り焼きにして、皿に盛る際、頭と尾を切り落とし、棒状形にして膳《ぜん》にのぼす。これならば、家庭で試みてもよいものである。東京では埼玉の越ヶ谷辺《こしがやあたり》の地黒《じぐろ》というどじょうが上物《じょうもの》で大きく、以前、うなぎの大和田《おおわだ》あたりで盛んに蒲焼きにして、「どかば」と称して、一時人気を呼んだものである。
どじょうなべの要点はだしで、表側の卵を汚さぬ工夫、だしを笹《ささ》がきごぼうの下にだぶだぶ残さない工夫、卵を笹がきの中まで沈めない工夫、この三つができたら本格である。
底本:「魯山人の食卓」グルメ文庫、角川春樹事務所
2004(平成16)年10月18日第1刷発行
2008(平成20)年4月18日第5刷発行
底本の親本:「魯山人著作集」五月書房
1993(平成5)年発行
初出:「朝日新聞」
1938(昭和13)年
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2010年1月14日作成
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