多摩川にもいることはいるが、川が適しないためか、さっぱりだめだ。かつて多摩川のあゆでうまいのを口にしたことがない。あゆのよしあしは気候や川の瀬が大いに関係する。日光の大谷川あたりのはちょっとうまいが、これとてもその場で食わなければだめだ。東京へ持って来たので台なしで自慢にはならない。わたしは東京でうまいあゆを食う欲望を昔から捨てている。
あゆのいいのは丹波の和知川《わちがわ》がいちばんで、これは嵐山の保津川の上流、亀岡の分水嶺《ぶんすいれい》を北の方へ落ちて行く瀬の急激な流れで、姿もよく、身もしまり、香りもよい。今のところここ以上のを食ったことがない。和知川ものを生かして京阪に運び、その日のうちに食えばうまいが、二、三日|経《た》っては脂が抜けてしまう。生きていても、焼いてみるとはらわたなしで、トンネル風に空洞を作っている。はらわたというのは、ほとんど脂でできていると見え、三日も生簀《いけす》におれば、ほとんど脂は抜けてしまう。もっとも賞味すべきはらわたが抜けてしまっては価値がない。
あゆは土地土地で自慢するが、それは獲りたてを口に入れるからで、結局地元がいちばんうまい。すべて小型
前へ
次へ
全5ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
北大路 魯山人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング