鮎の名所
北大路魯山人

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)河岸《かし》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)三日|経《た》って

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)たたき[#「たたき」に傍点]
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 あゆをうまく食うには、あゆの成長と鮮度が大いに関係する。京阪や東京でいうと、七月がよい。地方によっては、早い遅いがある。子を持つ前の最大なのがよい。子を持ってからは二番目といってよい。見た目に見事なのを喜ぶ者もあるが、これは素人の話、東京でも盛んにあゆを賞味するので、河岸《かし》には日本全国からイヤというほど送られて来るが、東京であゆをうまく食おうとするのは土台無理な話で、かれこれいうのがおかしい。あゆの味は渓流激瀬で育った逸物を、なるべく早目に食うのでなければ問題にならない。岐阜のあゆも有名ながら、わたしの口にはあゆ中の最高とはいえず、況《いわん》や東京ではなおさらだめと知らなければならない。
 京都保津川のもよいが、これは土地で生きていてこそいちばんである。東京であゆをうまく食うなどというのは断念した方がよい。多摩川にもいることはいるが、川が適しないためか、さっぱりだめだ。かつて多摩川のあゆでうまいのを口にしたことがない。あゆのよしあしは気候や川の瀬が大いに関係する。日光の大谷川あたりのはちょっとうまいが、これとてもその場で食わなければだめだ。東京へ持って来たので台なしで自慢にはならない。わたしは東京でうまいあゆを食う欲望を昔から捨てている。
 あゆのいいのは丹波の和知川《わちがわ》がいちばんで、これは嵐山の保津川の上流、亀岡の分水嶺《ぶんすいれい》を北の方へ落ちて行く瀬の急激な流れで、姿もよく、身もしまり、香りもよい。今のところここ以上のを食ったことがない。和知川ものを生かして京阪に運び、その日のうちに食えばうまいが、二、三日|経《た》っては脂が抜けてしまう。生きていても、焼いてみるとはらわたなしで、トンネル風に空洞を作っている。はらわたというのは、ほとんど脂でできていると見え、三日も生簀《いけす》におれば、ほとんど脂は抜けてしまう。もっとも賞味すべきはらわたが抜けてしまっては価値がない。
 あゆは土地土地で自慢するが、それは獲りたてを口に入れるからで、結局地元がいちばんうまい。すべて小型
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