たからではあるが、さっそく鮎の洗いをつくらして食ってみた。驚いた。とても美味《うま》いのだ。なるほど、三井《みつい》が賞味したわけだと合点《がてん》した。
美味いに任せて、その時はずいぶん洗いを食った。そうして人が訪ねて来るたびに、増喜楼へ案内して、洗いをつくらせてはご馳走《ちそう》した。ところが、習慣とは妙なもので、たいがいの人は、あっさり食わない。頭はどうしたとか、骨を捨てちゃったのかと心配する。当時、京都相場なら二円くらいもする鮎が、一尾三十銭ぐらいで始終食えたのだ。それが洗いにすると、一人前が一円以上につく。鮎をそんなふうにして食っては、なんとなくもったいないような、悪いような気がして、美味いとは知っても、勇気の出にくいものである。
しかし、所《ところ》を得れば、洗いは今でもやる。この鮎の洗いからヒントを得て、私はその後、いわなを洗いにして食うことを思いついた。
いわなは五、六寸ぐらいの大きさのものを洗いにすると、鮎に劣らぬ美味さを持っている。
鮎はそのほか、岐阜の雑炊《ぞうすい》とか、加賀の葛《くず》の葉巻《はまき》とか、竹の筒《つつ》に入れて焼いて食うものもあるが、どれも本格の塩焼きのできない場合の方法であって、いわば原始的な食い方であり、いずれも優れた食い方ではあるが、必ずしも一番よい方法ではない。それをわざわざ東京で真似《まね》てよろこんでいるものもあるが、そういう人は、鮎をトリックで食う、いわゆる芝居食いに満足する輩《やから》ではなかろうか。
やはり、鮎は、ふつうの塩焼きにして、うっかり食うと火傷《やけど》するような熱い奴《やつ》を、ガブッとやるのが香ばしくて最上である。
底本:「魯山人の食卓」グルメ文庫、角川春樹事務所
2004(平成16)年10月18日第1刷発行
2008(平成20)年4月18日第5刷発行
底本の親本:「魯山人著作集」五月書房
1993(平成5)年発行
初出:「星岡」
1932(昭和7)年
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年12月4日作成
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