い》なさかなだ。それでも産地によって、多少の美醜《びしゅう》がないでもない。
 鮎は容姿が美しく、光り輝いているものほど、味においても上等である。それだけに、焼き方の手際のよしあしは、鮎食いにとって決定的な要素をもっている。
 美味く食うには、勢い産地に行き、一流どころで食う以外に手はない。一番理想的なのは、釣ったものを、その場で焼いて食うことだろう。
 鮎は塩焼にして食うのが一般的になっているが、上等の鮎を洗いづくりにして食うことも非常なご馳走《ちそう》だ。
 私がまだ子どもで、京都にいた頃のことであった。ある日、魚屋が鮎の頭と骨ばかりをたくさん持ってきた。鮎の身を取った残りのもの、つまり鮎のあら[#「あら」に傍点]だ。小魚のあら[#「あら」に傍点]なんていうのはおかしいが、なんといっても鮎であるから、それを焼いてだし[#「だし」に傍点]にするとか、または焼き豆腐やなにかといっしょに煮て食うと美味いにはちがいない。
 それにしても、こんなにたくさんあるとはいったいどういうわけだろうと、子ども心にふしぎに思って聞いてみた。すると、魚屋のいうのには、京都の三井《みつい》さんの注文で、鮎の洗いをつくったこれはあら[#「あら」に傍点]だという。
 私はずいぶんぜいたくなことをする人もいるものだなあと驚き、かつ感心した。それ以来、鮎を洗いにつくって食う法もあるということを覚えた。しかし、その後ずっと貧乏書生であった私には、そんなぜいたくは許されず、食う機会がなかった。それでも、今からもう二十五年も昔になるが、遂《つい》に私もこの洗いを思う存分賞味する機会を得た。加賀の山中《やまなか》温泉に逗留《とうりゅう》していた時のことである。
 山中温泉の町はずれに、蟋蟀《こおろぎ》橋という床《ゆか》しい名前の橋があり、その橋のたもとに増喜楼《ぞうきろう》という料理屋があった。鮎《あゆ》とか、ごりとか、いわなとか、そういった深い幽谷《ゆうこく》に産する魚類が常に生かしてあって、しかも、それが安かった。鄙《ひな》びた山の中の温泉には、ろくに食うものがないから、飯《めし》を食おうと思えば、どうしてもそこへ行くよりほかはなかった。
 そんなわけで、私はよく増喜楼へ人といっしょに食いに行った。そうした渓魚《けいぎょ》を食っているときに、ふと子どもの頃知った鮎の洗いのことを思い出した。鮎も安かっ
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