鮎の試食時代
北大路魯山人

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)憧憬《しょうけい》
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 あゆがうまいという話は、味覚にあこがれを持ちながら、自由に食うことのできない貧乏書生などにとっては、絶えざる憧憬《しょうけい》の的である。わたしも青年の頃、ご多分に漏《も》れず、あゆを心ゆくまで食いたいと夢にまでみた時代があった。この夢を実現したのは二十四、五歳のころであったろうか。もちろんそれまでにあゆを全く口にしなかったわけではない。だが、あゆ通の喜ぶ上等のあゆによって、あゆの美味をテストするという意気込みで食ったのは、その時が初めてであった。わたしは日光の大谷川《だいやがわ》のあゆをねらっていた。おそらく大谷川のあゆがうまいということをいつとはなしに聞いていたのだろう。わざわざ日光までなけなしの金を懐《ふところ》にして出かけて行ったのである。
 その時の価がなんでも一尾五、六十銭ぐらいであったと記憶している。それを二尾ばかり食ってみた。あゆは新鮮だし、色つやもよく、容姿も優れていて確かに一等級のものであったらしい。が、この時の偽らざる感じをいえば、うまいうまい
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