欲を満たすだけの財力を持たなかったから、うまいには相違ないと羨望《せんぼう》しながらも、得心のゆくまで食うわけにはゆかなかった。ただいたずらに憧《あこが》れるだけだった。
ところが、三十歳くらいのころ、京都に帰省した時、ようやく宿願を達成することができた。あゆを食うくらいはなんとか都合がついたからであり、かつまた、内貴清兵衛《ないきせいべえ》という先輩のご馳走もたびたびあって、何十回となく各所を食い歩くことができたおかげであった。時には一日に二度も三度も吟味してみた。
京都では、宇治の菊屋とか、山端《やまばな》の平八とか、嵯峨の三軒茶屋など、あゆを生かしておいて食わせる店が諸所にあった。そうしたところを片っ端から食い歩いて、どうやらあゆの味が心底から舌に乗ってきた。
底本:「魯山人の美食手帖」グルメ文庫、角川春樹事務所
2008(平成20)年4月18日第1刷発行
底本の親本:「魯山人著作集」五月書房
1993(平成5)年発行
初出:「星岡」
1935(昭和10)年
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年12月4日作成
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